覚者慈音582  尾畠の爺さんのこと

                                           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の133
    第二      天界と地界の関係
     七     十一流界以下の説明                                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 上界に至れば前述の如き安楽なる境涯なれど、もしあやまりて下界に堕るならば即ち十一流界以下となりて汝等の世界より見れば一段二段と低下したる処に苦しめらるるなり。この十一流界以下の処は汝等が世界とは又其有様も従って危険なる処なれば朝にめざめて夕に眠る迄苦悶に苦悶を重ね、然して安眠するいとまさへあらざるが故に身心共に分秒の油断をすれば如何なる危険を生ずるかは計り難き有様にて、汝等が世界より見るも到底その苦悶の状態は推知することすら至難なる世界なりと考うれば可ならん。此界には優勝劣敗にて強きものは弱きを助くるなどの慈悲心なく又是等に対して法律等の定めなければ、強きものは恣に弱はきを虐げもし弱はきものが従はずば直ちに打ち殺してその肉を食す等残忍極まる行為をなして得々たるが故に、親子兄弟等の差別なく、又男女共に情欲を恣にして時と所をきらはず姦淫する等、実に言語に絶する界なるが故、余りに残忍なれば我等是を語るに忍びざれば詳細は省略す。されば汝等斯る下界に転落する事を好まざらん。故に修養修行していささかの困苦に打ち勝ちて九流界以上の界に進まん事を願うべし。
 中流界については現在住める汝等の世界なれば省略す。


 僕にはひとり娘が居る。その子に未知日記を読めといつも云っているけどなかなか読まない。そこで以前この十一流界の箇所を本人の前で読み上げたことがある。「そんな世界は怖い。どうしたらいいか」と訊く。僕はたえまなく心から真心こめて真剣に厳戒の辞を神に称え、そんな試みに合わないよう懇願しろと云っておいた。それからというもの食事の前後、就寝する時には彼女なりに真剣に唱えるようになった。なにしろこの言葉の有り難さを知るものはいま世界で僅かの日本人と地球の各所の深山幽谷に密かに隠れ住む小一万人の行者だけだ。僕は混雑する群衆のなかに居るとき時々思うことがある。この中で誰一人としてこの言葉を知らない。この詞(ことば)を知らずして一生を過ごし、死んでてゆくのかと思うと実に哀れと悲愁を感じる。よけいなお節介かもしれないけど、その人々になんとかしてこの未知日記の書と触れ合う機縁をもたせてあげたいと心底思う。
昔、大宅壮一なる論客が日本人一億総白痴化をメディアで標榜し、警鐘を乱打したことがあった。今はそのころよりも毎日のテレビ放送の内容がより尚一層愚鈍化し低劣化していると思うのは僕だけか。即製のバラエテイ-番組やお笑い番組等々などが一日の大半を占めている。健康な人は勿論のこと、病弱な人にも平等に確実に迫り来る死の恐怖心を刹那的に忘却させ今を享楽できれば良いという短絡な考え方を助長しているように思う。だから人は余儀なく来世の事、魂の問題、神仏の事などを敢えて忌諱し、不問に附すようになる。このままでは多くの人は死後迷いの世界に入り浮住界を賑わすことになるのだろう。そういうことを云っている僕もおそらく迷うだろう。だから貴尊方に縋る気持ちが強くなっている。貴方も貴女も是非ともこの厳戒の辞のブロクだけでもお読み頂き実践してみては如何でしょう。
 このブログを始めて明日で丁度8ヶ月目となる。僕は世間の人達にこの厳戒の辞のことを知らせたくて一番最初に厳戒の辞の説明されて居る箇所を掲載した。あの慈音師ですら講義が始まって7年目にして漸く此の辞の威徳を教えてもらった。その厳戒の辞をこともあろうに一番最初に載せたわけだから、見る人読む人にとっては果たしてこれは何の呪文かと思ったかもしれない。貴尊方がこの辞の説明をされたのは講義が始まり何年間も経過して光明論が最初だった。セイキョウ貴尊は厳戒の辞を受けるに際しての心構えとして斯く仰った。


語る者は一心不乱なり。聞く者一心不乱ならざるべからず。教ゆる者、教へられる皆共に心を一にして真剣なる態度にて、伝授にあづかれよと注意するものなり」と 
      
でも幸いなることに僕のブログの人気記事の中でこの厳戒の辞が幾度も幾度も顔を出している。有り難いことだ。もっともっと大勢の人達に是を読んで戴きたいものだ。
 もう少しでこの三世四世論の転記を終える。それを終えたなら未知日記の一巻目から順番に転記していくつもり。身体の不調のこともあり、どこまで続くか自信はないけれど僕に架せられた最後のボランティアと心得てやるつもり。貴尊方も僕のブログの進捗状況をきっと御照覧くだされているに違いない。どうかご支援をお願いいたします。
尾畠の爺さんは肉体の救済のボランティア-、一方僕は自分をも含めた魂の救済のボランティア-。とても尾畠さんの根性には遙か遠く及ばないけれど彼には常に啓発されている。日本中に尾畠さんのような人が沢山輩出されたなら日本は本当に住み良い社会になるのでしょうね。キリスト、釈迦だけでなく古来からの聖者聖賢悉くみな魂換されたものと未知匹日記には記載されている。きっと尾畠さんも天界からの指導があって知らぬ間に魂換されているに違いない。なぜならあの人が六〇才になった時、商売は順調にあったにも不拘、飄然と目覚め金も要らぬ、名も要らぬこれからの余生を困った人を少しでも助けたいと願い大きな決断を下したからだ。在家の身で神仏を少しも語らぬ彼だけど誠にあっぱれな行者道だ。今ニュ-スで大分県の知事から表彰される報道があった。めでたいことだ。今年は例年になく自然災害などが数多く多発し沢山の死者を生んだ。そんな中彼の善行は荒んで暗澹としている国民の一人一人の心に爽やかな一陣の涼風として吹き抜けた。

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