覚者慈音583

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の134
    第三     無言詞界について
     一     無言詞界に到る順路                                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 大凡地球上に置かれたる汝等にして最も不安と考うる事は生死の悩みなるべし。もし汝等にして正しきさとりを得たらんには生死の悩みはあらざるべし。されど是を悟らざるが故に苦悶して安からざる其日々々を送り居るなり。生あれば死ありと云う事は常に口にし居ながらもさてその死期に至らば喜びて死する人は少なし。そは何故なるかと云うに是を明らむる真のさとりを得たるにあらざる故なりと我等は思うなり。生あれば死すとは確定信仰にして其は既に承知なし居れど是を厭うは即ち本心迄その念が徹底なし居らざるがためのみならず死後は滅後は如何あらんとの不安も伴いて其が恐怖心と変ずる結果なるべし。
 或人は云う。人死する程幸福はあらざるべしと。何となれば生きんとなすが故に苦しみ悩み悶えるなれど死と決らば其にて凡ては清算せられたるが故に死するは幸福なりと語り居るを我等は耳にす。果してその言葉は肺腑を突いて出でたる言葉なるか。或は気まぐれの言なるかは知らねど死を喜ぶ底の人ならば既にその人はあやまらぬ行為をなして来世は如何なる処に置るるもよしとの本心なるか。或は死すれば忽ち生の苦は一掃されて其にてつきると考うるかの二方面より現われたる言葉にして先づ覚者の部に属すと我等は思うなり。死して悔いなき人ならば其人の行跡は正しと見て差支なからん。死するとは絶えはつるの死を云うにあらず、唯肉体を捨てたるを云うなれば汝等誤解すること勿れ。くちはて死滅するは悲しむべきことなれば汝等くちはて死することを考うること勿れ。くちはて死するとは米を稔らせずして藁にて終りたるを云うなり。正しきさとりは即ち稔らせたる米の如何になるかを明らめたる人にして始めて得らるるなれど、藁にて終りたる人には正しきさとりは得られざるが故に注意す。汝等早く米を充分に稔らせて後正しき死につくべし。此稔りし米は他界に移され更に又そのはたらきを変へて次の界に進む。されど稔らざる藁は下界におとされて唯藁としてのはたらきを余儀なくせらるるにすぎず。此理をよくよく考慮して修養修行して工夫せば自づと進むべき順路は明らかとならん。真の修養を重ねて稔らせたる米ならば藁を残して到るべき所に到るとの喜びあるが故に死は最も娯しとの言葉は真に正しき言葉なり。されど米を稔らせずして藁にて終る死なれば最も悲しむべき死とならん。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。