覚者慈音573

  

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の124
    八      天界の意義
           その2                                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 人間の稔りは即ち人の人たるべきにあり。所謂稲の稔りは米なり。人の稔りは何に相当するかを考へみよ。人稔らずば人にあらず。其は藁にすぎざるべし。その日その日を栄耀栄華に暮すと云うは肉体本位にして要は魂魄の栄耀栄華を望まずば完全なる稔りにあらず。又完全なる人にはあらざるべし。天界の意義は是なり。所謂女は弱く母は強しのたとえによって見るも明らかなる如く人身は弱く魂は強しの理に合うとは考へざるか。魂を有せざるものならば知らず、大凡下界に生をうけて魂を有する以上魂によって魂が磨かるると仮定して考へ見ば何れが中心なるか。肉体ありて魂が通うと思うならば其は逆の考へにて魂のはたらきが肉体に及ぼすとみなすとの相違は順逆何れにありやを思惟して工夫するならば肉体即魂、魂即肉体の考へと、又魂即肉体、肉体即魂の関係とは相似て異なる処あらん。聊か理屈めきたる論説なるが故に汝等には少しむづかしく覚ゆるならん。されど同じ言葉の如く解釈なさば其は正しきさとりを得るか或は正しからざるさとりとなるかの結果となる。此処に工夫を要す。静かにその相違を考へみよ。所謂何れも一如の如く思わるれどその一如の両者は反対の一如となることに気附くならん。例へば一と云う字を右より左にのばしたると、左より右にのばしたるとの相違を考うる時、天界より下界へ下界より天界へと指すならば其は反対の線に等しかるべし。此理をよくよく翫味しみよ。即ち天界は人骨の有無に不拘望むものは空なるが故に魂に重きを置きたりと考うれば修養修行は肉体を通じて魂にありとの結論となる故に魂魄一体化を計らずば人間の人間たる使命は果されじとの理は察するを得るならん。さとりと云うは心意と魂魄の差をとるにあり。その差をとる事に依って始めて人の人たる道を明らかに認識することを得ば是にて天界の使命は果さるるにてその後は所謂来世となりて天界の人として更に新しきはたらきをなす事を得るなり。是即ち天界の意義なりと知りてつとめを怠らずば軈て後生は天界の人と生れかはる事を得るは確実なり。肉体の滅後の後生と魂魄のはたらき終りての後生とにはかかる相違あるなり。故に肉体滅後は来世と称へ魂魄任務終りし後世は天界となる。来世と天界の関係は是に依って明らかに知る事を得しならんと我等は思うが故に更に項をかへて説明する事とせん。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。