覚者慈音376

未知日記 第十巻  帰途案内記



                      その32
 四流界の人類の生活について


                           
                  セイキヨウ貴尊 講述




 先に語りし九流界のクゥワオの如きものは是等に、化せられたる一種の現はれにて生れ来りしものなり。故にクゥワオの如きものは半動物半人間のところに位し居るなり。さればこそ彼等は早く死して真の人間に生れんことを望み居るなり。彼等に聞けばその苦みの悩みは到底人間の知る処にあらずと話し居れり。
 余事は別として魄界ともならば、醜き猛獣毒蛇は影を没してあらず。唯滑稽なる最も動物魂の優れたるもののみ生存なし居るなり。彼等も魄界に育ちて人類の教へを受けて、軈ては人魂に化せられて下界に人間として生れかはるものとなるなり。人間の智慧は是にてよしと云ふ事はあらざるが故に、進むれば果なく進みて尽きるところを知らざる具備あるによって、使命は其より其へと果なく続けられ居るなり。是を真の欲望と云ふなり。世人の欲望には限度あり。其は肉体欲なるが故なり。されど人間欲は果てしなし。故に我等は世人に対して肉体欲を棄てて人間欲に着目せよと勧るものなり。このところ迄語りなば味の意味は、朧気ながら解することを得たらん。注意せられしはこの事柄を仰せられたるなれば、先づ掲げをきて是より更に新しき話をなさん。
 即ち味とは智慧の味を云ふなり。智慧の味は食へば喰ふ程その妙味は尽きるところを知らず。如何に喰ふとも満腹することはあらざるなり。然して飽きると云ふこともあらざるべし。是等は肉体の味なり。肉体の味にすら尚斯くの如き妙味を有す。まして智慧の味に於てをやと思ふが如何。世の中を進歩せしむるには智慧にあらざればなし難し。智慧に限度あらば世の中は開らかれざるべし。魂界の人類は其智慧をみがきて、更に魄界の如き世界を現出せんとして、任務をなし居るが故に希望は尽ず。希望尽きざるが故に精力は旺盛となり、精力旺盛なるが故に生きんとする力は益々加はり行きて、生より生の連続となり居ることに心し見よ。然る時世人はその味を知り度しとは思はざるか。是即ち生の妙味を味はへよとすすむるものにて、是を喰はんが為には先づ智慧をみがく他なかるべし。肉体尽きても魂尽きざれば、智慧は消滅するものにあらず。かく考ふる時魂が智慧か智慧が魂かの考へを起こすならん。心あらば心は魂を知り、魂あらば魂は霊を知る。霊は智慧を生み出す母なることに心づくならば、従って心魂霊智の意味は察せられるならん。所謂霊より魂、魂より心へとのつながりは、即ち智慧なりと云ふ事に帰すると考へなば、霊魂心をつなぐ智慧こそ即ち味なりと思はば可なり。智慧なき心は空し。智慧なき魂又空なり。空虚となりては心魂のそなはりありとも何の用かなさん。所謂浮遊魂に化せしめては天理に反す。世人よここに着目せよ。然らずば大なるさとりは得難し。

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