覚者慈音236

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO185
大霊界入門記   前編                 


第二   シュ、発育門或は幼児小児門 (仮称)                             その1
                      教主寛大講述



 漸く育てられて次ぎにシュの門に移さるるなり。例へば幼児が育ちてすべて整ひたれば、是より幼稚園とか小学校とかに移さるるならん。其と同様の如く考ふるも可ならん。兎に角チの門に於て姿形整ひたるものなるが故に、是よりは種々様々の教育を受けて修養修業の徳をつむ。是等も最早任務の一つなり。無言詞界に於て学びたる事柄を、大霊界に育ちて更に其等に関しての一切の方法を伝授されて、ここにはじめてその徳を現はすことを得るなり。
 チの門よりシュの門に入りて順次教へを受け、又その方法も会得することを得ば、その力が種々様々の方面にはたらき居ることは是又云ふ迄もなし。ここに亦十二の法則はあるなり。故にチの門に於て十二、シュの門に於て十二、是によって百四十四の道は明らかとなるなり。まなこも開け耳も開け智能はもとより動作に於ても亦同様にして、汝等諸子の世界の小児の如く嬉々としてたはむれ遊ぶに等しき、行為をなす程度に化せられ行くことは語る迄もなし。大自然に育てられ大自然に教へらるるが故に、完全無欠の徳はあらはるるなり。
 汝等諸子の世界の如く父母教師よりの教へは時には正しからずもあり。又正しきもあれど大自然の教師は、決して誤ちたることを教へず。故に完全無欠なり。火にも焼けず水にも溺れぬ法を学びたるが故に、危険の憂は更になし。汝等諸子は無言詞の教へを受くることを知らざるが故に、他の実在的のものより学ぶことに努力なし居るによって、ややもすれば誤解を招きて過誤を多くなし居ることは、是みな相対の教へが空ならずして、実を旨となし居る底より生ずる現象にして、無言詞は空の絶対より授けらるる、謂はば大自然の導きなるが故この方向に、耳目をむけて学び居らば誤つこと少なし。否誤ちはあらざるなり。
 何となれば無言詞は絶対自然の力のあらはれなれば、決して誤ちを伝ふるものにあらず。唯聞く者の程度によっての相違あるのみなればなり。まして無言詞界をはなれてチの門に入り、ここに於て養育せられ更に進んでシュの門に入る程度迄進みなば、最早その徳は自然に与へられ居るによって自由自在の行力を、完備し居るままに何事をもなすことを得るなり。前にも語りたる如く、シュの門に於て十二と語りし如く、チの門の十二は熱気を意味し、シュの十二は寒気を意味す。是等は後に詳細語るべし。その十二気寒熱相和して百四十四の姿となる。是等も皆自然の発育にして、己より求め学ばんとして得たるにあらず。唯何時とはなく達成したるものなれば、求めずして与へられたる方法なるが故に、何等の苦痛もなく何時とはなく延び行くがままに育てられ居ることと承知せよ。此恩恵あるによって楽しきなり。過去現在未来を知らんと考ふる必要もなく、何時とはなく三世の姿が己が心にありありと映じ来り、然してその経路が何処の方面に伸び行くかをも知るによって、己に架せられたる使命は何なるかを認識して、次第次第にその方向に運ばれ行くも、是又自然の教育の力なりと知るべし。


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