覚者慈音552   三世と四世論  確定信仰と不確定信仰について   セイキョウ貴尊講述

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の104
  第十一      確定信仰と不確定信仰    其の4                                                                    リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等は前途遼遠にてはてしなき修行を厭うならん。修行を厭うはつとめをおろそかにして唯安楽を願う結果なり。一日も早く安楽の境涯にて暮さんと考うるはそは人間の本心なり。先にも述べたる如く人間が死して極楽に移されたる時、極楽は退屈なりと地獄へ堕ちたりと云う話を汝等は思い出し見よ。こと成就すれば其にてよしと考うればあやまちなり。汝等一つのものを考案して其が成就すれば又次ぎに何か事業をなさんと考うるならん。或資産家は曰く、「我等は金儲けせんとて事業を起し金儲けなしたる結果より考うればはたらき儲け居る間は楽みにて金品の懐中に入りたれば案外楽みすくなきものなり」と云うを聞きたり。実に然り。金儲けする間こそ真の楽みにて儲け終れば余りに楽きものにあらざることは事実にて人は事成就せんが為にはたらき居る間こそ真の楽みはあるなり。望み叶いし後はさのみ楽きものにあらず。此理より考へて修行せよ。神を知る迄の間こそ楽きなり。神を知りては恰もたづね求むる人に会いたると何等異なる処なし。知らぬうちこそ花なりと考へて楽しく喜びて神にかへる道を歩むべし。是を不確定信仰より確定信仰へ進む道なりと思いて歩を進め旅を重ねよ。余りに急ぎて深き谷間に転落すること勿れ。我等は盲者の汝等が手引きの役目をなさんとするに等し。仮に汝等道に迷へる盲者を見て何処に行くかをたづね道のけはしきをよく注意してその処迄手引きなしやらば盲者は安全に望みを果して感謝する如く我等も其と同様の事をなさんとするに等し。
 大凡神の道を歩まんとする人はすべて盲者の如く否、盲者なりと我等は見るなり。けはしき処は余りに多し。我等汝等の手を離さば忽ち転落するは明らかなり。依て我等は握りたる手を決してはなすことをなさざるなり。一般宗教者の如く恐怖心をのみ起さしめて手をひくが故に歩みは遅々として進まざるなり。わが手にすがらば如何なる危き処も安心して歩むべし。話は横道に入りたり。もとに復さん。

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