遭いがたくして今遭うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり


上記の言葉は親鸞聖人の著した教行信証の中に書かれています。
「本当に遇いがたいものであるのに、今、私は遇うことができました。本当に聞きがたいものであるのに、私はすでに聞くことができました」と述べらています。
さてここで上記の言葉をgoogleで検索すると下記の文章が出てきましたので転記しておきます。

親鸞は教えに出遇い、教えを聞くことができたことを、奇跡的な出来事であったと感激をもって受けとめているのです。また、「遇いがたくして」「聞きがたくして」と述べるように、その喜びのもとには、真の教えを求めて迷いを重ねてきた長い道のりがあると思われているのです。けれども、それまでの苦しく困難であった道のりも、出遇いを果たし遂げた親鸞にとっては、出遇いに導く縁であったと受け止められているのでしょう。親鸞にとっての出遇いとは、人生を変えるただ一度の出遇いであったのです。


当時の日本を代表する名僧である最澄や空海などが危険をも顧みず仏法を求めて、こぞって遣唐船に乗り込みました。事実三割位の船は途中で難破したり沈没してしまいました。中には海賊船などに襲われ非業の死を遂げた者がおおくありました。それでもかろうじて生き永らえた僧たちは唐の都である長安を目指して死に物狂いになって仏典を転写し、さらに受戒を受けて、それらを日本に持ち帰り、それぞれが教えを宣布しました。仮に平安時代にこの未知日記一連の書が中国や印度などの高僧に下されたとしましょう。それこそ日本の僧たちは自らの命を顧みずこの教えを獲得するために命がけで挑戦したことでしょう。今は楽なもんです。ネットでちょつとひねれば無尽蔵の宝物が取り出せるのですから。釈迦.イエスが今伝わっている現在の法華経、阿弥陀経、新約聖書などの其々の法典を読んだ場合、はて私はこんなことは云わなかったのにと頭を傾げるところが沢山あるにちがいありません。なぜなら弟子たちに話したサンスクリット語による法話が鳩摩羅什による意訳、さらには三蔵法師たちによる解釈が重なり当初の法話から大部分のところが異なったものになって行くからです。弟子たちは釈迦の実像をより大きく見せんがために多くの脚色が針小棒大にしてところどころ附け加えたであろうことが推察されるからです。教主寛大は慈音師に対してこの書は今後末永く地球に伝承されてゆく故に「てにをは」の文字すらも一字一句間違えないようにときつく厳命されておられます。それは言葉そのものに自然と法力が働くようになされているからです。そしてこの未知日記の書名は教主寛大が命名されました
未知日記には  未だ知られざる日々のことを記す  導き 三千日記 身知日記 満智日記 満千日記 味智悲喜 己知日記   弥智日記 などの意味があります。勝手に思いつくままに書き上げてみました。さてあなたはどんな言葉が思いつくことでしょう。教えてください。
半年前に妻用に買ったノートパソコンで僕のブログを開いてみると余りに文字が小さすぎてとても読みにくいことに気づきました。よって一か月ほど前から少しずつ文字を大きく太字にしています。僕も含めて眼の悪い老人達のために。

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