父祖の足跡 三十回 親父の人生 一回目

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 親父は八十五歳まで生きることが出来た。晩年は身体の状態が思わしくなく何遍か入退院を繰り返していた。そのせいで当然気力も減退して、声も小さく、話し言葉も流暢ではなくなっていた。昔は筆を執って散文形式の詩を書いたり、自分の生い立ちを纏めたりもしていた。おまけに詞も作り、無理やりどこぞの先生に曲などを作ってもらい、それを無理やりにおふくろに歌わせていた。曲はいつも軍歌調か、古賀メロディ風であつた。いわゆる世に出る事も無い幻の秘曲である。しかし息子から云うのもおかしいけれど、かなり筆まめで流麗な文章を書いていた。

 親父が四十代の頃、ある短歌の会に入っていて、大きな画帳に細かく詩とか短歌、また随筆じみたものをぎっしりと書き込んでいた。そんなことは知らない小学生の私と弟は、その画帳を片っ端から千切り、すべて紙飛行機にして、大屋根に昇り、そこから飛ばした。その日は風があってよく飛んだのを覚えている。次の日、親父は画帳を懸命に探す。母親も一緒になって家中を探した。「雄、こんな画帳は知らんか?」と聞く。私は両親のただならぬ気配を察知して、恐る恐る紙飛行機にして遊んだことを告白した。その時の親父の落胆憔悴した顔が今も眼に浮かぶ。子供のこと故、親父は殴らなかった。でも長年の間懸命に書き留めたものを、無くした悔しさは今になつて漸く私にも解る。丁度一万円札を屋根から飛ばした以上に残念だったろうと思う。なんとそれに似たようなことが後年起きた。確かあれは親父が亡くなる数年前のことだった。親父が文語体で散文詩(軍隊時代のこと)を書いていた。後日探してここに掲載する予定です。

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