覚者慈音771  光明論上巻 巻の一  50番   伊東慈音

覚者慈音771
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
          神鏡その3
                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.6
                  第50番


教主出座、礼拝低頭

「汝等、今テッシンより示めされし霊鏡は此霊界のみに輝く鏡にあらずして、汝等が魂魄にはその明鏡の具備あるに依て、修行して錬磨せば明光赫々として総てを映写せん」
教主立座礼拝低頭


 セイキョウが説きし自在論(未知日記一巻)より光明論迄の説明によりて汝等はその信仰を深くなすに至りたらん。今ここに教主が仰せられたる明鏡は霊界のみならずして汝等が魂魄に具はりある事を証明せられたり。されば此立体鏡は其魂魄に具はりありとせば世の中の事は云ふも更なり。霊界の事たりとも明々白々たるは多言を要せざるべし。汝等今日迄霊感々々と他より聞かされ其霊感なるものの真相及び正体を知らざるに依て迷ひ迷はされつつありしなり。唯訳も無き幻影を見ることあらば、霊媒者とか霊感とか称へて真の霊感を知らざりしなり。此第一神鏡即ち立体反射鏡とも云ふべきものが、汝等の魂魄に反映し来るは初学者最初の霊感なり。その霊感に浴するには被霊光を蒙れば会得せん。幻影を見て霊感と思ひ誤ること勿れ。そは錯覚に陥る恐れあればなり。
 総じて肉眼に見ゆるは大旨錯覚かもしくは自己暗示なればその区分を明瞭ならしめずして混同せば取り返へしのつかぬ結果に終る危険あれば指導者によく問ひ正して完全の教へに従ひて錬磨すべし。云ふ迄もなく汝等には知らるる如く磨いて初めて明鏡となる。されど形の鏡は手にて磨けど心の鏡は如何にせば磨かるべきか。そは何事に限らず気に掛ることを速かに除去することなり。斯くすれば雑念は余り起らざるなり。然して心の動揺を軽くして何事にも頓着せざる底の工夫を凝さば魂魄の鏡は自づと磨かれ行くなり。事実を体得して初めて其味は知らる。されど他より如何に説明を受くるとも唯想像に過ぎざれば奮励努力して教主の教へを無為に終らしむること勿れ。すべては汝に帰すなり。汝は業なりて人にも其徳をわかたんと努力せばなしてならずと云ふことなし。我等が導きは決して机上の空論ならざることも附言しをくなり。



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