覚者慈音770  光明論上巻 巻の一  49番   伊東慈音

覚者慈音770
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
          真鏡その2

                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.6
                  第49番


 さて霊光は過去はもとより現在或は未来も一様に知るを以て霊光には三世論は成立せざるなり。即ち過去現在未来を同時に知るは神のみなり。此三世をうけつぎ組織したる霊光なれば、三世は霊光には一体となるなり。五種の鏡に照らせば凡ては如何に思ひを袖に包むとも鏡の前には如何ともなし難からん。故に霊光に浴し霊光の力にすがらんなすならば、是を正しく使用すれば正しき結果を得るは当然と心得て学すべきなり。もとより教主の仰せられし如く霊光は一切衆生に通じて遍(あまねし)からずと云ふことなければ、此応用次第に依ては仏とも鬼ともなるによりて一大事の要件としては神の道に合ふべき用法をなさざるべからず。若しも汝等にしてかばかりの事ならば、さしたることもなからんとて行はば、一度は良、二度も三度と度重ならば積り積りて山となり淵とならん。
 あの様を見るべしるあれに見ゆるは一個の光が今霊鏡の前を通過せん。眼(まなこ)を定めてよく見るべし。唯一個の光と見えしものが今霊鏡の前に来りて通過するを見れば帯の如く川の如く、次第々々に其形状が変化し大河の如く海の如くに拡大されて其総ては霊魂にてありしならん。是宙にさ迷ふ亡魂なり。あのひしめき騒ぐを見よ。中には眠り居れるもあり。逃げ惑ふあり。捕へられて苦めらるるあり。修羅とはあれを云ふならんか。あのものが第二の霊鏡に映れば其総ては判明すれど、汝等今は是を見るは許されざるなり。
 大凡人間の世の善悪は神の規則を標準として作られたるに不拘優勝劣敗の結果より種々様々の範囲に拡げられたるため却って善は悪と変り、悪は善として其儘習慣となりて今日に至りたるもの多し。例へば商人が売品に対して悪き品なりと云はば客は買はざるを恐れて良品なりと勧め、其は商法の駆引にて欺くにあらずとしてそは客が眼の利かぬ故なりと却て客に帰せしむる等は不埒至極なり。斯るためしは枚挙に暇無し。神の律法は斯る誤まてる善悪にあらず。されど人間には都合悪くして行ひは難きなり。神の道は数多けれども一筋なり。故に総ては一に帰す。汝等、人を欺くは二筋なるべし。即ち表裏ある故に二筋となるなり。たとえ己を守らん為の偽はりと雖もなす勿れ。一時のがれに過ぎざるなり。生命ををとす憂ありとても偽はる勿れ。偽らずして直ならば生命を落とすことなかるべし。世に愚正直とか莫迦正直とか笑ふ者は神を恐れざる莫迦者なり。戦争には秘密あり。駆引あり。策略あるにてはあらざるかと思ふならん。戦争はもとより神の道に反す。されば神は斯ることに組みし給はねども、気光素は相方に働きその優れたる方の勝利に帰す。是を神の力と誤認するは世人の考へなり。

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