覚者慈音768  光明論上巻 巻の一  47番   伊東慈音

覚者慈音768
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
                        
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.4
                  第47番

      
               神鏡とは
 



 始めに汝等は一種の好奇心に囚はれて引かるる儘に此門迄辿り着きて今はいささかたりと真剣味を加ふるに到りたるはセイキョウも喜び我も多とす。是よりはいよいよ信に信を重ねなば、汝等は真の喜びと満足を感じ人間として最高最大の幸福を得らるるは疑ひ無し。今よりは信を新にして好奇心を捨てよ。
 さて今汝等は霊界より振り返りて己を見よ。今迄行ひ来りし数々の行を思ひ起す時如何なる感想が脳裏に閃めき来るや。下界と異なる此界のの事は悉く汝等の思ひと反し居りいに、一つは落胆し一つは又新しき希望に充たされ来るならん。汝等は宗教の数々を読みて仏教者は地獄極楽の様を予想し、天国を語れるキリスト教信者はパラダイスを連想し居たるに、今此霊界を見て全く呆然たる感を深くせしならん。下界より神を祈りて願へば多くの神々天下りて忽ち悪をくぢき給ふとか、或は天より神の使者来りて云々とか、又眼を上げて見れば諸天諸菩薩花を降して汝等を迎へ給ふとか、其他様々の伝説神話に神は戦車をひかせて戦ひ給ふとか云へる事の、此霊界に入りたるたる者ならではその真相を知ることを得ざるべし。汝等は今魂屑を下界に捨つる見て何と感じたる? 神は人間界の戦争にくみし給ふ如き些細の事に組し給はば全宇宙は如何なる混乱を来すやも計られざるべし。汝等此門に入りて如何に高きか広きかを閲せば地球の如きは何処に存在するかすら見分くる事難かるならん。是を思ひ廻らさば今迄人間性優越感を感じ居たりしことの愚さを思ひ悟りて、我より低き者に一段の情をかけて愛する事に励むべし。汝等ここに来れ!
 我、汝等に見するものあり。是は立体反射鏡とも名附くれば、汝等には其文字に依て諒解することを得ん。
 此鏡は慈音に示せし神鏡(立体鏡)とは異なり霊光鏡とも名附くるも可ならん。兎角此鏡に映じし者を見よ。我、是を説明するに先だち少しく鏡について語りをく事あり。元来此鏡には五種ありて今汝等に示めせるは第一とも云へるものにて、慈音に示めせしは第二とも云ひ得るにて、其以上三四五の三種はあることを予め心得をくべし。然して何れも平面鏡にあらずして立体にして五種共に其趣きを異にするは云ふ迄も無し。汝等が今眼のあたり見る如く唯形も無く何物もなきに映写し来れば一種不可思議の光が何処ともなく集合し来りて形あるものの如くの感を抱くも其真実は何物もあらずして、汝等が世界に見る蜃気楼の如く思ふならば従って頷かるるならん。

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