覚者慈音752  光明論上巻 巻の一  30番   伊東慈音

覚者慈音752
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
                        
                  セイキョウ貴尊講述
                  2018.12.22
                  第30番

                  


 箪笥に数多の衣服を仕舞ひて楽むは衣装道楽、書棚に書をつみ重ねて喜ぶは書籍道楽にて修養とはならざるなり。汝等かかる道楽を止めて真の修養とする生活を行ふべし。汝等は糞尿をつみ重ねて楽みとはなさざるならん。大地は是等を取り入れて汝等の食料を供給することに思ひを馳せよ。学べば必ず実行に移さんと努力すべし。さりながらなすもならざる事をなると信じて行ふは、即ち迷信なれば実行にうつす迄に蒔かんとなす種子をよくよく吟味する事は勿論なり。汝は汝の体内には何れかは知らず来りて密かに、狙い居れる悪戯者の祈祷師に欺かれ居らざるかに心し見よ。病みて苦痛を感じなば薬を求むれども心の病ひには業なし。されば何としてその苦をまぬがるべき。ここに至らば体内の悪祈祷師が除々に頭をもたげて汝の心をかき乱すを感ずべし。然らばその悪祈祷師とは何なるか。病神か死神か或は天魔鬼神なるか。汝等の今日見るに戦局の如何はさてをき、汝等は不安の為に心の悩み著しく一日送りになすべき術を知らず、うろつき居るは悪祈祷師に迷はされ居るなり。即ち病神死神天魔鬼神にもあらず、不安と云ふ悪戯者に汝等は迷はされて心をかき乱され居るなり。故に教主は、「形の光は善悪邪正区を明らむるを得れども、是を左右する事を得ず」と仰せられたるなり。不安と云ふ悪戯者が汝の何を狙ひて入り来りたるか。是は即ち執着と云へる弱点に乗じて来りしなり。故に即ち執着が離れたれば彼は蒼惶として影を没せん。この執着を離るるは霊光によらざるべからず。霊光は左右する力を有すとは教主の説かれし如くなり。汝等我家の庭園を見よ。樹木は戦争をも知らぬげに咲く花は咲き、常盤木(ときわぎ)は昨年も今も同じ色をただえて慌てず騒がず、何の不安も無く己の使命を全うしつつあるにはあらざるか。犬を見よ。猿を見よ。何の不安ありとも見えぬに人間の汝等は七面鳥の如く色を変へ、何等の業も手につかず唯うろうろなし居るは樹木家畜に面目ありや。早く棄執着をなし見よ。霊光は輝き居るに! 
 昨夕は良き夢を見たり。何か吉事あらんとか。或は悪き夢を見たり、身内に不孝あらざるかなど、是皆不安の悪戯者の仕業なり。早く棄執着をなして追ひ払ふべし。人間に於て害となり、又益となるは執着なり。執着なくんば真の信仰は得られずと説く宗教家もあり。一見理の如く聞ゆれども真の信仰は執着によって得られるものにあらず。そは修養と執着を同視せるに基因す。
 執着の信仰は強く見ゆれど一方に偏するを以て自由を束縛さるる悩みあり。真の信仰は広く万般にわたるによりて自由を失する過誤なし。信仰は広きにわたらざれば正しき信仰は得られず。故に執着は何れにもありて益なければ捨てざれば却って成功はなし難し。



   


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