覚者慈音749  光明論上巻 巻の一  27番   伊東慈音

覚者慈音749
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
                        
                  セイキョウ貴尊講述
                  2018.12.20
                   第27回講義



 無為に百歳と云ふ年月を過すともいのちを知らず、肉体の為にながらゆるとも人間にあらずして獣類に等しきなり。長く生きて国家の為に戦はんとなすも口先のごまかしならば、其は卑怯なれど事実いのちの為に生きて戦はんとなすは無理にはあらず。そは理なり。戦ふ限り戦いて降伏して手柄と思ふは誤解なり。例へば汝等薬を用ゆるに医師の定めたる量の八分目を飲み居りて効ありと思ふや。戦ひは肉体あらん限り戦はずば何等の任務責任を全うせしとは云ひ難し。生きらるる限り生きて肉体を粗末にせず、最後に至って刀折れ矢尽きて初めて肉体を犠牲とせば、初めて責任は全うされたるなり。戦ふ余力あるに降伏するは責任を全うしたるにはあらざるなり。いのちを大切にせんが為に肉体を犠牲にして守るなり。身を守ると云ふ事は肉体を守ることと誤解せしより生じたる欧米思想と、いのちを守るために大切なりとする日本古来の思想の流れの変化が、今日東西相反するに至りたれば、其両極端を一体ならしむる思想が完成すれば、真の人間性道徳は得らるると我は信ずるなり。いのちを大切にせんが為に肉体を健康ならしむるにて肉体健全なればいのち健全なりとて、肉体本位となすは誤りなりとの理解を充分覚悟せざるべからず。いのちの大切なるを知りて粗末になさぬは即ち忠孝ならずや。汝等はいのちの為には死を賭しても守りぬく。いのちは汝の親ならずや。此親が大切ならば肉体を産みし親も大切なるは是当然にして、理論の余地なく是に反駁なすものはその理屈者なり。孝行とは感謝の現はれなるべし。汝等いささかのたのまれごとを果して報酬を求むるは、即ち感謝の酬いを求むるならん。然りとせば肉体を授けて是を養成したる親に感謝の真を献ぐるに何の不審やある。是は単なる義務と片附くるは理屈にして理にあらざることを知るならん。汝等孝行の道をあやまり考ふること勿れ。孝と云へる文字は老人を戴く子の姿を表現せし象形文字ならずや。親は気儘に生みたり。我等も亦気儘に子を儲くるは順序なれば、孝行の要なしなど云ふは、却って子の生るるを厭ふ傾向より出でし言葉なるべし。肉体情欲を満足せしむるには子の生るるは却って支障となるなどとて、産児制限などと云ふ罪悪を敢て犯すは言語道断獣類性よりも尚劣等人の所行なるべし。




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