覚者慈音746  光明論上巻 巻の一 24番 煙草をやめる法 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音746
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
                        
                  セイキョウ貴尊講述
                  2018.12.20
                   第24回講義


 例へば煙草を捨てんかと思ふは引力と圧力とが同時に並行して働き居るなり。然して是を捨てんと計りて様々の方法を構ずるを得ざるは引力の強き故なり。煙草をかくし煙管を損じ火桶を避くるとも何時しか手には煙草煙管が持たれあるものなり。故に是を捨てんとの圧力を強くなすには先づ煙草を傍に置き煙管も座右に置にをかば知らず知らずの間に煙管に手がかかり居るならん。其時煙草は止めるべし。喫ふべからずと誡めて煙管を元に返へす其淋しさ心細さを日に幾度なく繰り返へせば必ず捨つるを得るなり。何とならば初め引圧が十対十とすれば、此法に依て九対九八対八と低下して果は零対零となりて止むるを得るなり。一方にて棄執着法と称して陰のみに依るか、或は陽のみに依るか方法もあるなり。是等は棄執着法に於て行法秘伝に説かれあれば我は割愛して略しをかん。
 陰徳に対する現はれの一例として例へば汝等仏に献ぐる御茶湯なるあり。此茶を点ずる意味を汝等知るや。そは他ならず。茶を製造するには葉を蒸し是をもみ火にて乾すとも茶は色を失はず。即ち人間の生活に世に処して揉みに揉まれ茶の如き苦みをなめても其徳を失はざりし事を称賛る心にて献ずるなり。何事によらず其物の行ひについて究むれば迷信と思ふことも、修養の心掛け一つにて徳を得るなれば早合点して迷信妄信と捨るべからず。まして正信に於てをや。汝等が日常の中より我の見る処にては簡単にして明瞭なる修養欠くべからざるあるに、汝等等閑に附して感受し居らざることあり。其は他ならず。汝等来客あれば床を背にして座せしめ居るならん。然るに床には書画を飾り生花をなして客をもてなす所存ならば、何故に床に向はしめざる? 斯ることは簡単明瞭なるを汝等は修養資料とせず唯一種の習慣の作法と心得、客も敢て感謝せず唯見事なりと褒め言葉の世辞に終り居るなり。此床を背にせしむる意味を我は斯くあらん、又斯くありてこそ客に対する礼儀ならんと信ずるなり。其意味は如何にと云ふに、「客よ、汝の威徳は此花の如く、此書画の如き輝きあるを我等は尊敬す」との歓待ならん。されば平素は床を飾らず、客来らば面前にて書画をかけ花を活けてこそ真の礼儀ならん。客も是には一応の辞退ありて可ならんかと我は思ふ。すべて斯る簡単なることにも注意せば修養の道ありと知るべし。講義は枝葉にわたりたり。さてもとにかへらん。

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