覚者慈音740  光明論上巻 巻の一  18番   伊東慈音

覚者慈音740
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 巻の一    
                        
                  セイキョウ貴尊講述
                  2018.12.19
                   第18回講義


 そはとにかく表面の信仰と仰せられしは即ち雷光或は火花の信仰を仰せられたるにて、かるはずみの信仰は却って身も心も危くするなり。世の中にはいささか変りたる事を見て、直ちに無条件に信じて苦み居るを見る。例へば今、汝等が住む付近には薤(にら)を食し居らば爆撃はまぬがるべしとの流言を信ずる輩あるにてはあらざるか。薤とは楽み居るの意にして爆撃も楽み居ると云ふ覚悟あらば恐るるなからん。然るを食品の薤に文字違ひせし滑稽をそのまま真と信ずれば真の信仰は得られずして却って迷信となる。是即ち表面の信仰なるに依て、斯る過誤より却って物笑ひの種子を蒔きたるに過ぎざるなり。教主が仰せられし表面の信仰に終れば早のみこみとある処に我、いささか不審を抱きて此間に特にとか或はわけてとか云へる文字を用いられては如何にと伺ひして、教主仰せらるるには其要なし。深く考へ見よと仰せられたり。我考慮せしに今更恥かしさを覚えたり。何となればここに特にとか、わけてとかの文字を用ゆれば其文字の為に大なるさとりを失ふ結果となる事に心づきたればなり。斯る事のあるにより汝等もかるがるしく事を計る勿れ。今あやまちを語るべし。前に早合点なすものは真を究むる道を知らずと説かれ、続いて表面の信仰に終ればと前の早合点を引きつぎに、又特にと言葉を用ゆれば更に早合点者の新しきを求むる結果となる。然りとせば表面の信仰に終れば、はやと云ふ意味は失はれて講義に於ても支障を来すあやまちを犯すことに我は留意せざりしなり。即ち表面の信仰に終ればとりもなほさずとか、既にとかの意味も有する早と、早呑み込みとの両道にかけられたる早なりしに心附かざりしは早計なりし。依てここに謝す。ここに於て特にと云ふ言葉を用いなば、最後の句の潜在せる魂を引き出すことをせざるなりとの言葉を損ふのみか、せずと云ふを得ずに改めざれば意味は全く失はれ、教主の説に反する講義に終る処なりしなり。汝等に於ても早呑み込み早合点にはかかる失敗あることに注意すべし。罪は深謝して本論に入るべし。
教主の言葉は婉曲に聞ゆれども事実は然らず。最後に、「潜在せる魂を喚び起すことをせざるなり」と、非常に激烈なる仰せをなし居れることに深く考へを廻らすべし。前にも語りし如く表面を流るる水は池底の泥土を清除するを得ずして、却って泥土を池底深く押し沈めて沈滞せしむるに過ぎざる如く、表面の信仰は潜在せる魂を沈殿せしめて終生影をだに見るを得ざるのみならず、その影をだに見るを得ざるのみならず、その影をだに見んとも欲せざるなり。斯る浅薄なる修業にて到底人間の尊さを知らんとなすとも得べからず。早呑込み即ちはやる心を押し沈めて今一段深く掘り下げて池底の泥土を引き上げて清除して、何日如何なる時水を湛えても濁る事なき合点せば、底の底迄透明となりて潜在の魂の輝きを見るを得れども、早く早くとあせりて成程々々と早合点早呑込すれば、又他に是を反駁する智慧者の為にその合点が破られ、其智慧者の言を合点すれば又他に理屈ありて、其から其と理屈の進行に終りて我魂に触るる事なく、生涯を空虚に終らんことを教主は愁ひて斯く申されたるなり。急ぐと慌てるとには相似て等しからじ。急ぐには準備あり。慌てるは準備なし。早呑み込すれば慌て居るなり。さらば咽喉につめて眼を白黒させ、果は吐き出す結果となる。急ぐとは咀嚼を充分にして飲み込む速度の早きを云ふなり。慌てて火を点ぜんとせば却って数多くの附け木を無駄にす。急ぐとはをちつきて手早く点ずるにてここに大なる誤差あるなり。稲妻火花は慌て者なり。早合点早呑み込みは是等に属す。故に平常失敗多し。




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