覚者慈音715  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音715
未知日記 第四巻      
霊の巻     
      生死と霊の関係  
      その2     
                   ミキヨウ貴尊講述


 生死に対して世の中の人は余りに無関心なり。何となれば唯生れたる歓喜、死したる悲みの外には他を考えざるなり。今是に対して一歩を進め考え見よ。生るる歓喜とは如何なる理によりてなるか。又死の悲哀とは如何なることによりてか。汝等が住める国々には風俗、習慣或は宗教によりて、その趣きを異にするあり。生るる時は悲み死すれば喜ぶ処あるにあらずや。是等も如何なる理によるなるか等、仔細に検討したる人ありや。我、先づ是等についていささか汝等に語ることあり。生れし喜びには死する悲みあり。生れし悲哀には死せる喜悦ありとせば、表裏一体の関係にして、更に是を考ふれば生るるとは喜悦と悲哀とは同時なるべし。死に対しても亦同様の関係なり。さりながら汝等が喜悦び又悲みとするところの所以の事柄は何によりてなるか。唯訳もなく生れし賑ひによりて喜ばしく、死せる寂しさによりて悲みとなるならば、我は実に遺憾と思ふなり。何となれば人間の生死は斯る浅薄なるものにあらずして、実は重大なる意義を有すればなり。汝等は神より作られたる早苗にして、やがては神の世界の本田に移さるるものなり。汝等の住める処は猪苗代(いなわしろ)なりと考ふべし。
 若し汝等が早苗としての育ち悪ければ、神の世界の本田に運ばるるを得ずして、地上に捨てられて枯るる他なかるべし。我の人は生死に無関心なりと云ひしは是なり。若し汝等にして是を知りて生れしを喜ばば、死も亦悦ばざるを得ざるなり。故に汝等の喜悦と云ふは、真の悦びにてはあらずと云へるを知りたるならん。真の喜びとは祝杯をあげたり、或はさんざめきの喜びにあらず。悲哀に対しても唯涙し声をあげて泣きわめく悲みは、真の悲みにはあらざるなり。
 人と生れし喜悦は生涯の喜悦にあらざるべからず。よく育てて神の世界に移さるべき活々として、立派なる苗とせざれば神の恩義に反すべし。肉体の長寿を願ふは猪苗代に長くおかれことを願ふに等し。取り残されて窮屈なるせまき処に、ひょろひょろとして果は藁となりて稔らず、枯れて土壌の肥料とせられんことを望むは、真に甲斐なき事ならずや。修養して移さるべき時節を待ちてこそと我は思ふ。汝等の好みに任せん。
 又少年期に召さるるは稲にてたとふれば早場米、即ち早稲にして、壮年期は中稲米、老年期は晩稲米と思へば可ならん。汝等は死するを枯れたりと考ふるによりて死を厭ふならん。枯れては稲となりし甲斐もなし。枯れざらんがための修養なり。修養は肥料にして修行は耕作法なり。さればよく育ち育てられて、神田に移されて結実を全うせざるべからず。故に地球を離るるは早苗をぬきとらるると考へなば、死を怖るる事のあるべきや。寧ろ速かに移されんことを願ふべき筈なり。さりとて完全ならざるに上らんとするも益なし。故に一日も油断なく作り育つること肝要なり。時期を失して捨てられざるよう注意せざるべからず。もとより苗に育つ日は短く、苗より米になる迄の日は長きことも念におくべし。



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