覚者慈音710  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音710
未知日記 第四巻      
霊の巻     
      霊のさまざま  
      其の2     
                   ミキヨウ貴尊講述


 汝等は我ありて我を知らざるが故に、我の尊さをも知らざるなり。釈迦が降誕に際して、天上天下唯我独尊と云ひしは何故か。即ち唯我独尊とは悉達太子を尊べと仏教者が教へ居るなり。汝等は汝等として唯我独尊なるを覚るべし。汝として最も尊しとするは、汝が霊より他に尊きものあることなし。故に釈迦は唯我独尊との教へをなしたるなり。
 汝は汝の霊なり。如何に他を求むとも霊に勝るものはなかるべきなり。他人は如何に尊敬すとも、汝のためにのみ守り呉るる者にあらず。汝が頼みとするは汝か霊の力なり。故に汝には汝の霊は尊し。霊には種々様々なる働きありて一々是等について語るは容易ならねば、その最も重要なる点についての二三を語りて、修養の資料となさんとす。
 元来人間の魂魄に於ける働きの範囲は極めて広し。従って此働きをなさしむる原動力の範囲も広けれども、是を縮小して原理に帰せしむれば、魂魄共に十二づつとなさしむることを得るなり。故に魂十二、魄十二として計算すれば、二十四個の原動力によりて組織せられ居ると見なすことを得るなり。従って十二光素、十二気素と仮称すべし。是に肉体の細胞九十六を加へて百二十の原子霊子備るも云ひ得らる。然るに人間のうち完全に二十四光気素の具備る者少なし。是が完全に具はりてこそ、真の人間と云ふべきなり。
 されば世の中の賢者愚者は、その光気素の数の程度の現象によりてなりと云ふことも知るならん。有識無識と云ふことも此数の顕現によるは当然なり。動物と人間との相違も亦、是によって知ることを得べし。虫などには魂数のみのもの多し。魚には魂のみにて魄の無きものも極めて多し。魚につきての伝説に、漁業の網にかかりたる大魚、魚業者の情けによりもとの湖河に放ち救はれたるが、其魚、漁師の夢枕に立ちて云ふよう。
 「我、捕はれて食されんことを願ひしに放されしこと、情に似て却って恨みなり。食されなば魚界の苦を救はるべきに、放たるれば幾年かその苦をまぬがるべき術もなし」と、さめざめと泣きたりと。
 魚は魂のみにて魄少なし。故に若し此苦を脱すれば、他の動物に進化するとの説より斯る道話の出でたるならん。斯る伝説の数多くあるも面白し。魂(こん)のみのものには植物等すべて範囲きはめて広し。ここには略す。
 易学にて人間の性には魂の数をその生れたる年月日に徴して幾個ありと定めて判断するもあるは、即ち光気素を換算するなり。易学の可否は後に語るべし。ここに考ふべきことは肉食をなす動物は魄乏しくして魂多き故に、残忍性強しと云ふ現象なり。是は肉食動物は他の生命を奪はざるべからず。故に習慣性より自然に獰猛となり行く結果残忍となり行くなり。慎まざるべからず。白色人種の獰猛なるも皆この殺生の習慣にあづかって、是をなさしむる現はれなり。白色人種は有色人種に対して優越感より侮蔑するは誤なり。今是について聊か語るべし。


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