覚者慈音708  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音708
未知日記 第四巻      
霊の巻     
      
至誠感通  
      其の3     
                   ミキヨウ貴尊講述


 さて、このお伽噺と云はんか、神話と云はんか、この事を聞きて汝等は如何に考ふるや。汝等神仏に供物を奉るに如何なる観念にて供すや。唯供物するのみにては、汝等何等の功も、甲斐なき事を覚りしならん。誰かの句に、「何ものか参らせたくは思へども、達磨宗には一物もなし」と云ふを聞けり。されば神に何を参らすれば可ならんか。酒か米か、はた又山の幸海の幸か、よく考へ見よ。我はこの言葉より多くは語らじ。汝等が胸中にまかせん。
 汝等、神に捧ぐるに神の造り給ひしものを以てして我神を敬ふ心なりとし、其によって神の恵みを受けん事を願ふものは多し。甚だしきに至っては他人の眼をくらまさんために、信仰して善人なりと思はしめ、裏面に廻りて悪徳をなす輩さへ見受くるなり。神にさし上ぐるには供物の如何に不拘、神の恵みに感謝の心を捧ぐるなり。例へ他人より珍らしきものを贈られしを神に捧ぐるも感謝なり。この有難き恵ありたればこそ斯る珍らしきを得たるは、一重に神の慈愛によるなれば、感謝せざれば神に申訳なしと思ふ心より出でたる信ならざるべからず。
 然るに唯神に捧げしのみにて品物に重点をおき、神を後にする如きは不信も亦甚だしからずや。此老翁の如く棄てたるを清めて神に捧げて、信者のあやまてる罪を神に謝するその真心ありたきものなり。然るに神の愛は大なり。信者が心の清きを愛されてその徳を高く引き上げ しめんがために、斯る行ひをなして導き給へるその慈悲心、我等は唯感きはまりて言葉なし。汝等よくよく感を深くして味はうべし。真は霊より出で、偽りは心より出づ。楽みは霊に依って生じ、苦は肉体より生ず。心は中間にあって楽苦を味はさるるなり。故に汝等は肉体につき従いて苦しみ多し。霊に従はば楽み深し。早く肉体の苦を捨てて、霊の真に従はざるべからず。
 「斯くばかり偽はり多き世の中に、死するばかりは真なりけり」と云へるあり。死するを真となすべからず。生くるばかりを真とせよ。霊は永久死せざればなり。煩悩燃ゆるも可なり。苦んで払ふに足らず。煩悩も悪念もみな霊に任すべし。霊に任かさば菩提となるによってなり。罪あるも霊に任すべし。霊は是を消滅して清浄となさん。
 すべて一切は霊の管轄におきて汝等霊の命ずるままに行はば、何憂ふることやあらん。明日の糧なくとも霊に任かせて悲しみ悶ゆる勿れ。霊は汝等に餓えしむることなければなり。人には神より与へられたる尊き霊あり。餓死するものは霊を疎んずるが故なり。因果にもあらず。是は罪による罰なり。信仰なくして神を知らざるもの何としてか霊を知るべき。我、汝等に云ふべし。
 汝等が思ふ神とは即ち霊を云ふなればなり。我、汝等に神を作り出だせよと、念力集に於て述べたるも、汝等が有する霊、即ち汝等が守護神なる汝等の親を求めよとの意味なり。されば貴尊も面白しと仰せられしなり。真の神は汝等が如何に努力修行なすとも拝し得ることあたはざるなり。
 然らば何故に行ずるやと云ふは、汝の親なる神の姿に見ゆる行をなして、唯その恩恵にあづかる修行を励むべし。
 その法とは夕死して朝に生れし赤児となるべき工夫なり。嬰児に罪なし。嬰児の態度に眼を注ぎ耳を耳を攲(そばだ)て見よ。彼は何を求め居るや。生命か。宝か。然るにはあらざるべし。空腹とならば乳を求め、排尻せば是を教へ、痛ければ知らせ、然らずば眠り、さむれば微笑む。汝等は是を見て天真爛漫と称し居るにてはあらずや。然り、その言葉の如く、汝等も天真爛漫となれかし。霊は礼儀なり。礼を厚うして唯勿体なし、有難し、忝ぢけなし、尊しと云ふ思ひを貯ふべし。そは真なり。真は神に通ぜずと云ふことなし。至誠感通と云ふ事は即ち是を指すと考へて行ずべし。

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