覚者慈音702  未知日記 第四巻  心霊雑話  ミキョウ貴尊講義

覚者慈音702
未知日記 第四巻      
心の巻     
      魂の働き、魄の働き  
      其の3     
                   ミキヨウ貴尊講述


 ここに最も肝要なることは魂に対する観念なり。魂は太陽の如き様なれば心の持ちかたに注意せざれば生涯をあやまる。魂より魄に伝はる結果は容易に念の実に変化を与へ得ることあたはざれば心すべきことなり。魂は魄の働きを如何様ににも用ゆることを得、故に其を働かすには正しく働かさざるべからず。心を正しくするは、魂を養ひ意を強くするは魄を育つると心得て可なり。心は魂に合ひ意は魄に通ずればなり。
 人は心意一如たらしむるを魂魄一体の働きをなすと思ひて、修行せば誤なかるべし。魄は潜在するを以て思ひ起らば是を言葉に組織して心に伝ふ。心(しん)は表面に居るを以て直ちに外部にもらすなり。一般に人間には言葉あるによりて、万物の長なりと称ふるは多し。然れども娑婆即ち地球に於てすら鳥獣の中に言語を唱ふるもあり。是等は声帯を有すればなり。地球外に於ける世界には獣類にて言葉たくみなるあり。是等を見れば人間万物の長たる価値なかるべし。修養せんが為の言葉は僅少にして取るに足らず。人間の優れたるは言葉ありて、是に依って道を得らるるを以て尊しと考ふるは誤なり。人間の魂魄の力は他の動物よりも優れたれば尊きなるを知りて、早く動物性本能よりまぬがる道を構ぜざるべからず。一日怠らば一日遅る。空しき光陰を送ること勿れ。真に人間たらしめんとなすには、小児の頃、魂の働きそめし頃よりの育てかたを誤らざる教へこそ肝要なり。是を知るには幼児の眼の見えそめし頃、又は玩具を投げ打ち破壊することは、即ち魂の現はれ来りしと知りて、是より正しく導くなり。もとより言葉通ぜざる幼児なれば心して是に対する教へは甚だ艱難なれば、母はもとより周囲の人々すべてが行ひを正しくし、起居動作に注意せざるべからず。幼児は聊かの事をも見のがすことなく、眼より耳より収納する者なれば心を用ゆるに尚心して、養育せば長ずるに従ひ、魂はもとより魄も是に順じて旋り働くに依りて、人道をあやまり歩む憂ひなし。斯る動作による教育を無言の暗示とも云ふべきか。己等勝手気儘の行為をなしながら、児に是をなす勿れなど教へるとも、そは守らざるは当然なるべし。

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