覚者慈音700  未知日記 第四巻  心霊雑話  伊東慈音

覚者慈音700
未知日記 第四巻      
心の巻     
      魂の働き、魄の働き  
      其の1     
                   ミキヨウ貴尊講述


 自在論に於て光源体性、気源体性なる言葉を以て、聊か語りたれども、人間の魂魄については、稍々(やや)その趣きを異にす。もとより原理には聊かの変ることなし。されど人間の魂魄より発する様々の行ひには、此原理より現はるる種々の現象に、変化を有する事は否定することあたはざるものあるを以て、ここに魂魄の働きにつきて説かんとす。
 魂は前にも述べたる如く光源体性にして陽なるが故に、表面化せんとする素質を有し、魄は陰性にして裏面化せんとする素質を有す。従って魂は華美を求め、魄は是に反し華美を厭ふは当然にして、男子は壮年期には退くを厭ひ、老年に及びて引っ込みがちとなるも、此魂魄の交替によるなり。
 是に反して女子は壮年期にありては進むより引っ込みがちとなり居れども、老年に至らば却って退くを厭ふ傾向あるに徴しても、男女の反対性の特徴あることは知らるるならん。男女共に壮年期に於ては生死など夢にも考ふるものにあらざる事は、皆よく経験したる処ならん。是即ち魂のみ働くによりてなり。又此魂に比例して、魄も精力を魂に加へつつあるを以て、さなきだに進まんとたける魂は、先へ先へと進むのみ。斯る年齢には極端より極端に走り易く、従って生死などには囚はるるものにあらず。一朝事あらば君国に捧げて惜しからぬ我生命と思ふも、魂のみの働きに対し魄は是を止めざるのみか、却って同意を与ふるなり。即ち陰の極点と陽の初めとは合一の結果の現象なるによりてなり。
 魂魄盛んに活躍するは肉体の発達の原理も是に加勢する故なるべし。気光素が魂魄の命ずるままに働く結果なり。故に分別心定まらぬ危険期ならずば、兵士は真の戦いをなし得るものにあらず。然れども剽悍(ひょうかん)のみにては唯動物性本能にして人間性とは云ひ難し。
 昔の武士は此生死を超越せしむる教育に努力しつつありしなり。生死を超越せしめんが為の方法として、魂魄に滲みこませたるものは忠孝の教へなり。此無形の暗示が魂魄に沁み入りて発達し、忠より義を生じ、孝より礼を生じ、然して此結合が更に働きて仁勇と智を産むに至り、その流れが今に及びたるなり。即ち念の実より、又其々の種子が蒔かれて育ちたる特性の現出を見るに居たりたるなり。故に真の武将は智仁勇の具備りたるにあらざれば、真の武将にあらずと伝声せられたるなり。我の汝等に語らんとする霊の範囲は是等のための教へをなすにはあらず。要は神に通ずる道を教へんが為なれば、是等の可否は論ぜざるべし。


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