覚者慈音698  未知日記 第四巻  心霊雑話  母は無意識に是は我児なり。我は汝の母なりと、親の観念は言葉に出さねども、潜在意識は子に伝はるにより、暗示となりて発芽す。是によりて嬰児には母とは如何なるかは知らねども、唯求むる結果は離れ難くなり行くなり ミキョウ(現セイキョウ)貴尊講義

覚者慈音698
未知日記 第四巻      
心の巻     
      暗示は因、言葉は肥料、念は実  
      其の1     
                   ミキヨウ貴尊講述


 換魂についても入魂についても、種々様々あれども、原理は前に述べたる如きに他ならず。故に他の例を語るを避くべし。
 即ちその多くは暗示のために念の実を結びて、一時魂魄を休めたるに過ぎざるなり。此魂魄は他に移り変りたる如く見ゆれど、実は根本より変じたるにあらず。真実魂換することは、神より他になし得ること難しと知るべし。されば入魂或は送魂はと云ふに是等も暗示法にして、恰も他人のもとを訪問すると同様なりと思はばよし。此法は聊かの修行にて大抵の人はなし得らるるものなり。送入の法は少しく異なるものにて、是等は講を重ねるうち自然に道は解さるると信ず。
 暗示と云へば誰もが言葉なる如く考ふれど、言葉のみにてはあらず。動作に於ても暗示あり、又習慣にもあり、或は何もなきに暗示のあることさえあるなり。故に暗示は総ての因(たね)なりと我は説くなり。言葉は暗示を養育するに必要なる肥料とも云ふべく、念とは暗示の因が発育して結びたる結実とも云ひ得らるるなり。無形の暗示、有形の暗示の二種より先づ説明なさん。
 汝等嬰児の教育さるる様を仔細に観察せよ。その育ち行くには有形無形の暗示の因が蒔かれつつある事を知るなるべし。即ち嬰児は清浄無垢なる地面と仮定して考察する時、此嬰児の土地を肥えさせざるべからず。是には栄養と云ふ肥料を与ふ。然るにその与ふべき母乳の肥料の中に含まるる無形の暗示の因は蒔かれつつあることを見のがす勿れ。是は母の心に思ふ無事に成長し呉れよと云ふ念なり。母の思ひは知らず識らずの間に、芽を出し居ると心得べし。是無形の暗示に属す。このことは汝等注意し見るべし。
 母は乳房を含ませて嬰児の顔面に眼を注ぎ居れば、嬰児は無心に母の顔を仰ぎ見る。斯くして因は蒔かれつつあることを知り得べきなり。ここに至りて母は無意識に是は我児なり。我は汝の母なりと、親の観念は言葉に出さねども、潜在意識は子に伝はるにより、暗示となりて発芽す。是によりて嬰児には母とは如何なるかは知らねども、唯求むる結果は離れ難くなり行くなり。是即ち暗示の発育にて所謂親子の絆と云ふは是なり。日を経るに従ひて完全に発育し親子の情こまやかになり行きて実を結ぶ。
 元来嬰児の間は三気一体にして気光素のみ働き居るなり。然るに日を経る毎に、三気によりて肉体の発育はまさるに従ひ、魂は表面化し、魄は是と反してかげとなる。故に動物性に化し行くなり。魄より受くる暗示は、次第に発達し歩む頃ともなれば有形の暗示を取り入れて是を養成す。有形の暗示とは言葉の力より蒔かれたる因なり。又物体より取り入れらるるものも有形に属す。故に嬰児の内は言葉なき無形の暗示に依るなれども、成長するに従ひて有形の言葉の暗示を取り入れ、又その暗示の数々が加はるに従ひて我と我自己暗示を作るなり。

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