覚者慈音696  未知日記 第四巻  心霊雑話  ミキョウ貴尊講義

覚者慈音696
未知日記 第四巻      
心の巻     
        人通力
           
                   ミキヨウ貴尊講述


 霊は空源力に合ひ、魂は光体性に、然して魄は気体性に合ふ。故に此三気合して作り出されたる気光素の力こそは、大なる働きをなす。三気一体ならざる気光素は働くとも、極めて小さき力にして一方に傾くのみ。その三気一体となるを仮に人通力、或は人霊力と名づけて説明の歩を進むべし。
 空源力を神通力と称するが故に、人間の力にも相通ずる力の働きありと考ふれば、人通力ありとするも然らん。緒論に於て述べたる如く、小気大気の論説より是を推して語らば、空源力は大気にして、人通力は小気とも云ひ得らる。又空源力より生れたる人通力は、その卵なりとも云ひ得らるなり。
 我、汝等に語りたる如く、汝等の親なる霊は空源力に和するを以て、神を知ると云へるは是なり。然して魂は陽にして光体性に属し、魄は陰にして気体性に属す。ここに一言注意しおくことあり。そは我、魂と魄とを区分して用いたれど、是は文字の意味より云ひしにあらず。便宜上二種を区別せんがために使用したる迄なれば、文字の意味より追究することを避けよ。唯符号と思ひて聞くべし。汝等悪意起らば良心は是を制すと云ふならん。悪意は破壊性なるが故に光体性なり。是を制するは組織なるが故に気体性なり。即ち陰陽の二心と云ふを、魂魄と云ふ符号にて現はすと知れば可なり。されば魂は常に表面に現はれ、魄はそのかげに附随す。是に依って汝等はよく考へ見よ。
 仮に汝等は麗しく咲たる花を見るとせんか。その時一枝手折りて床に飾らんと思ふは魂の命にして、手折るなかれ、そは他のものなりと止めるは魄なり。されば此の二心を一体ならしめて三気合流をなさば如何にと云ふに、先ず花を見たる時、直ちに花の咲きたるを喜び愛し、我の眼を、娯しませたる感謝の念おこり、手折らんとする如き心は微塵も起らざるのみか、散らぬ間に多くの人を娯しませたきものよとの慈悲心となる。是魂魄一如の働きなり。人間性の修行は他なし。魂魄相反し居る故に迷ふなれば、是を一如ならしむる法を修得せんが為の行を励むと心得べし。修行の法は親を求むるは勿論、悪心を去れば魄は表面化す。故に魂と魄を日常の動作に於いても、同時に働かす工夫を凝らすなり。例へば時にふれ、物にふれ、表面に魄を先にする事を錬磨す。是、俗言にかなはぬ時の神頼みと云ふあり。汝等魂魄一如の法を修行するには最も適当の言葉なり。何日も叶はぬ時と思ひて、神頼みの心を起こさば魂魄は一つとなりて霊気働き始めて神に通ずる道、明白とならば、人通力によって通天識を完全に得らるるなれば汝等不屈不撓修行に励むべし。

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