覚者慈音688  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音688
未知日記 
未知日記 第三巻      
安楽の巻     
        その2      
            
                 ミキヨウ貴尊講述


 今より行を修めて人道の全きを得んことを願ふ人は、宜しく過去の悪行為を清除して後、行につくべし。古き行為は念に残りて、行の妨げとなる故なり。恰も泥土の瓶に残ると同様なれば、早くその瓶の水を取り換えざるべからず。古き念を貯へおくは貯水池の水を貯へをくと同じければ、桶口を開けて新しき水と取り換える如くせざれば、古き水は種々の塵埃に汚さるる如く、念力は種々の思ひ加はりて病苦を招き陰鬱となり、又気無精となりて、行の妨げとなるを以て心せざるべからず。為し得べくんば瓶水を井戸水に、貯水を流水となして常に清浄たらしめば是に勝る喜びなし。悪しかりし念起らば、早く懺悔して是を除るべし。人に語る事なく唯我心に止めおきて思ひ煩らふは行の妨げなり。指導者に打ち明くれば捨てたるなり。指導者は神にむかいて許可を求むれ共他に洩すものにあらず。斯く懺悔するも心の安定にして暗示を取る一種の方便なれども、斯くせざれば行の進行を得られざればなり。人の将に死なんとする時、其言葉やよしとは此事なり。故に今より行ぜんとするもの、臨終と心得て懺悔すべし。斯くせば清水となりて大河の流るるが如く、とうとうとして念力は自由自在に働くことを得るなり。斯くて身治まり心整ひ念力働かば、此力はきはめて大なる働きをなす。
 空、行かんとせば天駈けり、地を往かんとせば、大地も開らく。己の意の儘に働きて通ぜずと云ふことなし。我姿ここにあり。彼処にも我姿を現はさしめ得ること自由なり。一体二身の法と云ふなり。雨を降らさんと思はば雨を降らせ、風を招きなば忽ちにして来る。念力は斯くも神妙不可思議の働きを有すが故に、我等は斯くもくだくだしく同じ様の事を説きたり。
 貴尊の申されし宇宙を我なりとせよとあるを縮言して是を我は地球なりと思いて色々と工夫を試みよ。然して念力の如何に大切なるかを合せ考へ見るべし。汝の身体なる地球は戦争病に悩みつつあり。身体は衰弱し食欲減退し、求むれども医師は許さず、病勢は益々悪化し薬石は効なく、黴菌は増大して種々の新剤を用ゆれども是を撲滅するあたはず、唯此上は神の助けを願ふの他なしと云ふ有様となり居るにてはあらざるや。即ち神にすがらざればと云ふは何なるかを思ひ見よ。此すがらんとの思ひこそは所謂念なりと悟るに至らん。
 人は病ひて薬の及ばざるに至らざれば神には無関心にして、薬石及ばざるに至りて初めて神を求むるものなり。念に於ても薬石にのみ囚はれ空しくなれば、是を離れて神につく故に、此理を考えて念の捨てかたを工夫することを計るべし。汝等の肉体を地球として考ふる時、戦争病が全く治癒したる後に於ても、その衰弱が恢復するは全く容易の事にあらず。滋養分を摂取せんと焦れど、薬価を支払ひて通貨に苦み、種々様々のものを費せし後なれば意の如くならざるべし。されば病後の費用と心の労苦は加はりて、悪念ははびこりて果は如何ともなし難き憂目を見るに至らん。

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