覚者慈音687  未知日記 第三巻  念力集 安楽の巻 ミキョウ貴尊(現セイキョウ貴尊講義)

覚者慈音687
未知日記 
未知日記 第三巻      
安楽の巻     
        その2      
            
                 ミキヨウ貴尊講述


 肉体は時間によりて亡ぶ。霊魂は永遠に亡びず。心は中間にありて肉体に順ずるなり。恰も天地の間の空気の如し。天は霊にして、地は肉にて心は空気と考ふれば可なり。悲みは雨にして、怒るは暴風なり。晴朗ならばたのしく、穏かなるは平和なり。曇る心は空の雲の如し。一年晴朗なる日のあるべきことなし。念は是等の有様を判別する力にして、其日々々をたのしみとなるや、はや又苦痛となすやの別れめにあり。苦まば苦みの念によりて残るものは暴風のあとの被害となり、楽みの念ならば惨状は風流となる。
 日和(ひより)続きて雨の尊さを知り、長雨続きて日和の有難さを感じ、暴風あるによりて和風の味を知り、無風の炎熱あるによりて清風の嬉さを感ずるなり。斯く悟り来らば日々は楽しかるべし。今汝等は貴尊の教えを受けて、大いに悟るところありたるならん。宇宙を我とせよと説かれたり。されば神は誰のものとすべきか。即ち神も我のもの、その尊さもみな我ものならずや。通力も我ものならずや。斯く考え来る時、神に対する考えを今一度改めて考え直し見よ。我思ひに比してその大慈大悲の愛の深きことを知るに至らん。我念力深くなるに従ひて、神の愛益々深くなるを感ずるに至るべし。児を持ちて親の恩の例の如し。神に面をむけて進むべし。然る時肉体の影は従って安全なり。面とは心なり。即ち太陽に面して歩めば背後の影は、是に従ひ来ると同様にして決して離るるものならず。肉体を捨てよとは、肉体を影にせよとの意に解せば可なり。
 光に従へば暗なく、暗に従へば明なし。念力はこの理に基きて修むべし。我等くだくだしく同様の事のみ述べたるにより、汝等倦怠を感ずるに至りたるならん。されど是には深き理由ありてなり。
 念力の作用は気光素を増大し、是により空源力を善悪両道に働かせて、不可思議の業を行ひ得らるるが故に、汝等一度あやまつ時は取り返へしのつかざる道にふみ迷ふ憂ひあるによりてなり。他を利するも、自も利するも、又他を害するも我を害するも念の力の現はれによると知るべし。貴尊の申されし如く自他を一に為さばすべては我なり。他を救へば自分も救はれ、他を悩ませば自分も亦悩まされる事に思ひを廻らせば、焉(いずく)んぞ他を害する事あるべけんや。他の徳は我の徳なり。我の悲みは彼の悲む処とならんと考へれば、敢て他を煩はす愚をなすに忍びんや。災禍も幸福も皆念より来ると知るべし。草木みな種子ありて芽を出す如く、禍福にも亦其々の種子ありて生ず。是を養育するものは念力なりと心得て、禍の種子を育つる勿れ。

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