覚者慈音685  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音685
未知日記 
未知日記 第三巻      
安楽の巻     
        その2      
            
                 テッシン貴尊講述


 斯くせよと命じらるれば却って意を決するを得れども、斯くせば是か、せざるが是かと思ひ惑はば決意は得難く、光陰を空費する他、何等進展せざるはすべての人の常例なれば、迷ひあらば汝の親に相談せよ。人間は一分時さへ知るあたはざるに、何月後何年後を思ひ煩ひ詮なき工夫を考ふるより、其時々に処して臨機応変の処置をとるは賢なるなり。さりながら是は事の可否にして、未来には必ず来るべき事あらば、汝の親は必ず汝等が心に伝へん。是を得んがために親子和合の行法を修得するなりと心得て、一心に修行をなすべきなり。
 親子対面の時は如何に楽しきかと連想せば、行ずるは苦にあらずして寧ろ希望に充ちて、楽みて行を修むる事を得べし。即ち安楽より安楽へと進めとは此理を云ふなり。常住坐臥たのしみて修行せば身心共に明朗なり。苦むも娯しむも肉体の保持には時間あり。寧ろ肉体の一生をも安からしむる方法は他にあらじ。酒色娯楽は一時にして生涯に及ばざるものならずや。却って苦のみなり。財宝を貯へて却って是がために身を縛られて苦む人は多し。もとより財物は大切なるべし。然れども財宝の奴隷となるはあさましき事ならずや。金銭を貯へ尚世の中の人は慕い来ると思ふが故に、修養し行ひ難し。富者は貧者を救ひ、貧者は富者を助けて相携へて世を安んずれば、ここに争闘あることなきは世人のよく知る処なるに、嫉妬心を起す結果より果てなき争闘戦の行はるるは実に嘆はしき事なり。老後を慮って財物に囚はるる故なり。又蓄積の労苦に未練も加はりて忘れ難き執着心も伴ふによりてなり。若しその財宝を娯みて貯へたるならば、斯る執着に囚はるるものにあらず。何となればその宝は楽みの残滓なればなり。真の娯みは何物にもよらず、唯己が心に在るなり。 
 宝を楽み景色を娯み、色を娯み等、娯楽の娯みは楽みにあらざるなり。真に心の楽みを得んがためろの修行をなさざれば、永久の苦をまぬがるるを得ざるなり。常住坐臥すべて楽しからざるべからず。是に達して真の安楽は得らるるなり。然らば其安楽を得らるる道は如何にすれば得らるるかを先づ考へみよ。相手ありての楽みは相手なくならば哀愁を誘いて楽みを失ふ。相手なくとも楽しければ、無聊(ぶりょう)も感ぜざるべし。相対的の楽みは即ち真の楽みならざればなり。すべてを絶対となさば、始めて真の娯みとなる。その点をよくよく悟り考ふべし。

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