覚者慈音659  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音659
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その1      暗の巻
       
                 ミキョウ貴尊講述

                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 汝、慈音、(教主より)行法秘伝を修むるにあたり、恐懼して身を縮めたるを不憫なりと仰せられ、今少しく汝に勇気を与えよと仰せらる。故に我、此念力集を贈りて汝の行を助くべし。心して学ぶべし。
 それ念と云ふことの意味は広くして、是を一言にして言ひ表すは難し。然れども念力と云ふことは、即ち気光素の事を云ふなり。気光素即ち霊光なり。唯念ずることに依りて結果は得らる。然らば念とは如何なるものなるか。汝等が考ふる念と我等が教ゆる処とは、其意味その趣きを異にす。汝等は念と云ふは、心を凝らして考ふることを念と思ふならん。心を凝らし思ひを凝らすも念なり。
 然れども我の説かんとする念とは、斯るものを云ふにはあらず。心を凝らすと云ふは恰も水を氷になしたるに過ぎざれば、其力、其作用はせまく小さし。
 我の説く処の念とは、其範囲きはめて広きを云ふ。即ち動物性の念、人間性の念、神道性の念と三種に分ちて是を説き示さんとす。依て汝等耳を傾けて聴け。
 心に感じて思ひとなり、思ひは凝って念となると雖も、我説かんとする念とは其にもあらず。然らば如何なることかと云ふに、地上の水蒸気が空気に依って飽和され雨となる。是念なり。即ち無より有を造らんとする原因も念の一種なりと考へ見よ。
 然る時宇宙の廻転動事も逆と思惟せば、念より生ずる結果とも見なさるるに至らん。此事柄より観察する時、念は宇宙を動かす原動力の根幹をなすとも云ひ得らるるなり。念仏往生の理も亦此処に存す。法然が説きし無条件に念仏せよと勧めしも此理より出でたるならん。
 其兎に角、世の中の凡ての事柄を念に示めして公案工夫する時、初めて念の力の如何なるものかを知ることを得べし。故に気光素は念力なりと悟る時、念は気光素を作る原因なりと観察せらるるならん。
 斯く考え及ぶとき、念は静物に迄通達して働かしむる力となることに思ひを廻らせば、念力は不可思議の作用をなすかなと想像されて、研究にも一段の希望を添ゆるならん。
 人は人間本位に考ゆるを以て、他に考え及ばざること多し。念に於ても亦人間のみが持つ特性なるが如く考ふる傾向あるは誤解にして、すべて生あるもの皆念を有するなるを悟らば、従って新しき感想を得べきなり。汝等常に口にする一寸の虫にも五分の魂と云ふ言葉の如く、斯る小さき虫に至る迄、念は保持さるるなり。又念には念を入れよと云ふ言葉もあり。又念じてならざるはなしとか、その他種々の事柄につきて多くの念と云へる言葉あることを知るべし。


 



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