覚者慈音657  未知日記 第一巻  行法  ミキョウ貴尊(現セイキョウ貴尊)講義

覚者慈音657
未知日記 
未知日記 第二巻      
有神論     
        その1

       
                 ミキョウ貴尊講述


 我、貴尊に代り此講にあたる。宜しくよく是を諒せよ。
有神論の論説について詳細に是を記すれば、数百枚の紙片と長時間を要す。故に是を省略して其要点のみを説かんとす。
此処に信仰者多く集りて、神の道を講じ居たる時、中に一人の無神論を称ふる者あり。此時信仰者の一人(信仰者の一人一人を甲乙丙とし、無神論者を彼と称すべし。)
甲、彼に説いて曰く、
「汝は以前より信仰厚くして種々様々の行道をなせしと聞く。然るに今に至って無神論を称ふるは如何に?」 
 彼、曰く、「我長者の教誡を受けて神ありと信じ、種々様々の道を会得し深山幽谷に分け入りては、仙者の教へを乞ひて其許に起伏し、以て其道の蘊奥を究め、然して神に接する事を願ひたり。然れども行力の殆どを修得しても、未だ神を見るに至らず。斯くては何日の世にかは神に見(まみ)ゆるを得ん。彼を思ひ、是を考ふる時、世には神なき事を悟りたり。故に無神の論説を以て、是を他にも語り、我も亦神なしと断定したるなり」
 甲曰く、「宇宙は神に依って創造さる。然らば何故に神なしと云ふや」
 彼、曰く、「宇宙は始めなく終りなしと聞く。然して其の内に存在せる物々は、すべて自然の集合にして神の造りしにはあらず。唯形あるものは破壊されては組織され、組織されては又破壊し、斯る事をくり返へされて、今に至り居ること、是神の業にもあらずと信じたり。 即ち空間に浮遊する物々は絶えず。斯くも流転して絶ゆる事なく形を具備へたるのみ。何ぞ取るに足らんや。もし神ありとして人類も神の造れるものならば、何故に斯る不公平なるものを作りしや。身を正しく行為を正しくしても、尚苦むものあり。己が思ふままに事を処しても尚喜悦に充ちてるあり。悪を犯しても罰せられざるあり。善行をなしつつ却って身を苦め、心をいたむる者あり。
 又貴賎貧富のあるあり。若し神が斯るものを作りたりとせば、そは徒事ならずや。真の神ならば、人間に於て悪行をなさしめざる力もあらん。又悪魔も世に跋扈さする事なく、亡びさす事も容易ならん。然るに何ぞや、悪魔は世に跳梁し居ると長者は教へたり。神と云ふものありと定めたるによりて、是に反する者を悪魔なりと説きしならん。 我、思ふに神もなく、又悪魔もあらじ。唯自然界より流れ出でたる事々物々によって、人間動物に至るすべてが、自然界より湧き出でたるものなれば、斯る不公平なるものになりたる事は明白なり。依って神と云ふ如きものも無く、されば悪魔と云うものも無しと断言して憚らず」

続く・・・・・

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