覚者慈音648  未知日記 第一巻  行法    伊東慈音

覚者慈音648
未知日記 
未知日記 第二巻  行法    
第四     生死の点を外せ     
      その一
         
                 テッシン貴尊講述


 汝等神の道は遠からざる事を知りたるならん。故に思ひがけぬ事を聞きて唯呆然たるべし。我、汝等に更に驚くべき事を語らん。若し人ありて、我等には神も仏も用なし。生きて居る間安楽ならば未来は未来にて何とかなるべし。訳も分らぬ天とか神とか面倒なる空説などに迷はさるる要なからん。斯る事に頭を労せんよりは、寧ろ美食を摂りて腹を充たさん等と云ふを聴かば、汝等、何と考ふるや。多くの信仰者達言をきはめて彼の説得に力めたれど、彼は言を左右にして応ぜざるのみか、信仰者の中にも却って彼の説に耳を傾くる者さえあるに至る。彼は最後に曰く、「汝等が云へる如くんば、神は何故に肉体を作りて苦むるや。もし霊界に真の安楽を得させんための準備ならば、生れし時より霊界に入るべき道を容易になしおくべきならんに、我等は今に至るも斯ることを知らざるによりても、我等は信ずるあたはじ。籾は永久に籾なり。米なり。人の種は永久に人なり。神にはあらず」と(この論議は後日述ぶべし 慈音)
 斯くて多くの信仰者達も彼を説得することを得ざりき。汝等は如何に思ふや。汝等は彼の無神論者に共鳴するや。然らざれば彼を導き得る方法ありと信ずるや。我はこの論者の理非曲直を云ふにあらず。汝等の修行に於てややもすれば中途に於てこの様に陥り易ければなり。
 我、如何に道を修むるとも到底修得することを得ずと半ば倦怠を感ずる時、此論議に化せらるる憂いあるなり。宗教者は是を悪魔の力と教ゆるなり。其処こそ大切なる事をよくよく注意せざるべからず。是はミキョウが説きたる分解と融和の接触点なればなり。籾は永久に籾なり。米なり。人も永久に人なりと思ひて、遂に動物性に化し終る勿れ。人は人なり。神にはあらず。神の作りし道を歩みて真の人となるべし。神の道即ち人の道なり。真の人の道は即ち神の道なり。故に我続いて説かんとする処は他にあらず。動物性を捨てよと云ふなり。動物性より人間性に帰れと云ふなり。いやしくも人と生れて動物性に終らば、人と生れし甲斐もなしと誰もが口にしながら、人の道を知らざる者多きは何故ぞ。喰はざれば死す。喰へば死せざるか。斯る事を知りつつも喰ひし上に喰ひて却って病を招く。貧者の子は強く、富者の子は弱きにてはあらざるか。我の説く処はここなり。生死の点を外せとはここなり。

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