覚者慈音636 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音

覚者慈音636 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第五章       自在観
第四節       自在の境地  其の1
               
       
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 さとりを聞きて悟らざれば、幼児に宝を持せたるに等し。四線二性一如の法も亦然り。汝等は斯く言ふべし。理論は漸く僅かに知り得たり。されど是を達成する法や如何にと。愚なり。愚なり。汝等は未だ理論を弁へざるなり。工夫せよ。考慮せよ。寒中に荒行し、暑熱に身を干し、絶食して肉体をいためて、其が何の効果やある。印を結び九字を切り護摩を焚き、鉦や太鼓を打ちならし呪文を称えて魔法を行ひ、其が何の悟道(さとり)となるか。神は是を聞し召さば却って其愚さを憐み給ふならん。斯る事を行ひ得たりとも、そは唯一瞬の娯楽にすぎず。何等感心するに足らず。却って正しき人の心を惑はし魔境に陥るる手段となるのみ。慎むべき事にこそ。
 他人の為に天に祈るならば、人にも告げず、己の真心を以て行はば可ならんに、世には麗々しく祈祷して行ふとは、神を恐れぬ仕業にして、神を冒涜するのみなり。神の道を他に教え導かんとせば、斯る法を用いずとも真を以て親切に導くべきなり。
 自在の境地は大善にもあらず、又大悪にもあらず。善悪を超越したる処に真の自在の姿はあるなり。故に生もなく死も又ある事なし。罪とは物を積み上ぐるを云ふにて、善には善の罪あり。悪には悪の罪あり。其罪の報いは異るなり。唯善には賞あり。悪には罰あるにすぎず。悪魔は此空源力を用いて悪道に引き入れ、宗教者は善のみ勤めて神の賞にあづからしめんと計るなり。然るに善のうちに悪をこり、悪より善のおこる故に、或は善に或は悪と一方に傾かば、斯る害を生ずるは道理なり。小児に是をなす勿れといましむれば、必ず行ふものなり。成人したりとも語る事なかれと云へば、次の人に語る事勿れと語るものにて、一方に偏れば斯る惑ひあるを以て自在の境地は達成し難し。自在の境地に入らんとせば、此理をよくよく味はひて理解せざるべからず。もとより空源力に依るにあらざれば、自在の境に入ること難きは明白なるも、空源力の行法はあやまてば結果は二性に帰る。


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