覚者慈音631 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音


覚者慈音631 未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音


第五章       自在観
第一節       縛より脱せよ
               其の2   
           
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 我、説く処は行ひ得ざるを行はしめんと勧むるにあらず。千金を得る人に皆是を他に施せと云ふ裸体にてはあらす。裸体となれとは不自由の衣、即ち縛めの縄の衣を脱ぎて裸体となれよと云ふなり。その衣は汝等自らが求めて自ら縛られし縄なれば、即ち自ら解き得る事の易ければなり。千金を得るとも八百金の生活は堪え得ぬ苦痛にてはあらざるべし。然しながら此裸体となるには、相当の苦労は免がれじ。酒を愛する人は是を捨てよ。汝の病苦にはかへ難しと勧むるとも、彼は容易に諾とは答ふるあたはざるべし。人間と云ふものの心は大概斯くの如きものにて、口には正義人道を盛んに説きながら一滴の米の水に自由を奪はる。不憫なる事どもかな。彼等が説く正義人道は空虚にして、酒を排すあたはずと語るは実言なるべきなり。
 我の説くは酒を飲むなかれ。煙草を喫ふ勿れと止むるにあらず。心身の養ひとなる程度に止めよと云ふなり。長者に乞食の姿になれと云ふにあらず。斯る事をなすは狂人に等し。大名も乞食も同じ桜花と詠じたる人の心に教へらるる処あるべし。人間の性質には様々あり。意志堅固に見えて内心薄弱なるあり。意志薄弱に見えて案外強固なるあり。物に飽き易きあり。熱心なるあり。表面平静にして内心穏かならざるあり。進むことのみ欲して退くを厭ふあり。退きがちなるあり。他の悪を己一身に引き受けんとするあり。自己の安全を得んがために寄らず触らずの挙に出づるあり。優柔不断にしてなさんと欲する心のみにて行為に怠惰なるあり。千差万別なれども仔細に検すすれば帰する処の希望は一なり。謂くすべての希望を遂げしめよと云ふに止まるならんか。
 心身は君臣の如く、主従の如く、親子の如く、兄弟、姉妹の如く、夫婦の如く、師弟の如く、又家族と家の如きものなれば、其心して交はらざれば相互にあやまちを生ずるなり。
 臣は臣たり。君は君たり。臣は君を虐げ、君は臣を愛せざるが故に国治まらざるなり。心は肉体に囚へらるるに依りて思いのままに人道を修むるあたはず。帰する処は主客転倒したるに依りてなり。縛より脱して先づ身を整ふること肝要なり。真の自在を得んとせば、空源力の原理に見る光体性に依る破壊線より始まるは前述の如くにて、縛を脱すると云ふも此理に基けるなり。然せざれば仏教の説く煩悩即菩提の姿にはなり難し。迷ひの輪廻ははなれがたし。
さりながら古き習慣は心身に沁み入りて是を打破するは容易の業にあらず。
ここに忍苦を要す。是に堪えんがために次の方法を用ゆべし。先づ「我は生を受く。今将に死期迫れり。されど未だ神の道を悟らずして世を去らば、何日かは神に奉仕るを得んや。神の御力は広大なりと聞く。仰ぎ願はくばあはれみをたれ給へ」と念ぜば自ら心身は清められん。汝の親は汝に在り。汝の親は汝を知れり、且つ神の力をも知るゆえに、汝が神の力を仰がんと願ふ心に転じたるは、すべてに諸々の物欲のなわを脱ぎたるは一つの現はれなりと思ひて、一層の信仰力を養ふことに突進すべし。
 艱難よく汝を玉にすとか云へる俗言の如く、艱難を娯しみつつ努力するに至らば、光体性破壊性は半ば達せられたるなり。人間聊かの苦痛に悲鳴をあげなば、成功出来るものにあらず。親の光は遠く迄輝くことを覚りて早く親の姿に接すべし。 

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