覚者慈音623 気源体性

覚者慈音623


未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第三章       気源体性


第六節



              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 人心は相対なるが故に一進一退は免がれじ。進む時はなにものをも恐れず。退くときは潔く退くを賢とす。一進一退躊躇すること勿れ。疑ひあらば信を得る迄疑ひて正しき信を得、信じて真ならざれば潔く是を捨つべし。徒に執着するは光陰を空しくするのみ。何の益かあらんや。俗に謂ふ、一心一念岩をも貫すと。然り。即ち信念は天に感ず。是組織線は空源力のうちに含まれたればなり。是か非かと迷ふは二心にして通ぜず。感応動交することなし。是ならば是として行ひ、非ならば行ふべからず。行いて後不安を感ずる事あらば、心平ならざるべし。迷はば止るべし。施しをなす勿れ。此理は暗示の方法に最も大切なれば、斯くも重語を逞くせしなり、
 例へば水冷かなるに己の信を厚くして、是は熱湯なるが故に熱しとの暗示を与ふれば、被術者は忽ち火傷をおこす。是信念の力なり。されど己が心に水冷かなりとの思い残らば通ぜざるなり。
 気光素の力は斯くも大にして熱湯も冷かならしめる力あるなり。暗示は気光素の現はれにして、気光素を働かしむる精神的動揺を来さしむる方便なり。故に暗示も命の素なりと云ふことを得。気光素を誘導する方法は行法にくはしく説かるべし。
 気光素に依る暗示との関係は恰も燈油燈火の如く、又火出し道具の如し。金と石とに破壊分解せられたる火は、火草に移して組織され、更に転じて燈心と融和し、油と融和して光明を放つ。然して油絶ゆるか、燈心絶えなば、光明も自づと消滅するを以て、長く光明を保たしめんがためには、其何れか絶えし方を加へざるべからず。是即ち気光素に要する処の関係なり。暗示に於ても四線の法則に依らざれば験なし。言葉より行ふと、気より行ふと、音によると、形によるとあれど、皆四線の法則を運用せざるはなし。又自己暗示に依りて自ら行ふ方法もあり。自己催眠術と称せらるるは是なり。又クダ狐、イズナ使い、透視法千里眼などは、自己暗示に依りて、気光素の作用を誘導して得たる方法にすぎざるなり。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。