インショウ、ミキョウ貴尊について

 ここ最近このブログを読み始めた方の予備知識としてここに記しておくべきことがありますので一筆添えさせていただきます。まず、この書を記録された方の簡単な概略、生い立ちを記しておきます。
昭和33年に伊東慈音という傑出した霊能者が無名の一市井の人として、ひっそりとこの地球界を離れました。この方は盲目で30代から40代の間は東洋音楽の奏者でした。かって大隈重信公や岩崎男爵が外人を招待したときに、この盲目の老師が秘曲を演奏したそうです。
それ以後、社会から遠ざかり、いろいろな霊的修行を行いました。ついに行の最終目的を達した彼は、霊耳を得て、貴尊方の講義を聴取し、自らは行じて、その片手間にこの大部の書を記録し、後輩者の為に残したのがこの未知日記(みちびき)なのです。そしてその介添えをなされた人が衛藤 欣と云う女性の方でした。後に寛大より欣情、そしてあらため慈声の名をあたえられたのでした。この書の一連が記された期間は戦前、戦中、戦後を挟む、だいたい10年間に行われました。どのようなことが書かれているかというと、人間の死後、それぞれの魂はどのような経路を辿り、どういった世界に移され、そこでどんな修行をさせられるのかを、こと細かく詳述されております。魂によって種々様々、千差万別の経路があることもまた書かれています。且つ、この大宇宙には、数限りない人類が生息していて、地球人種は魂の進歩発達の位から云えば、十位に位するそうです。よってこの世界を十流界と規定しています。それと各界は上部中部下部の三界に分けられており、この地球より一段階上の九流界なるところは、私たちの科学力が想像が及ぶ限りに、最高潮に発達した段階を九流界の世界と規定しています。まあ、今から五百年から千年以上後の世界を云われるのではないかと思います。その世界には、悪人はおらず、それを召し捕る警察もなく、またそれを裁く裁判官もなく、収容する刑務所もなし。また貨幣もなく、依って貴賎貧富もなく、当然戦争などもあり得るはずのない世界なんですね。
まあ、こんな世界が縷々詳細に書かれております。それを知りたければ帰途案内記をご覧になれば宜しいと思います。(UFOは確実に存在します。あの物体を使用するのは九流界の人類達で、八流界以上の人類はあのような機械は使用せずして移動が可能らしい)
あわせて八.七.六.五.四.三.二.一、流界のことなども詳しく述べられています。
 もうこれは私たちのいう神仏の世界ですね。今まで如何なる書も、これほどのことを記してはきませんでした。地球世界の誰もが知らないことをこの書は教えてくれます。最後にこの一連の書のまとめとして教主寛大が無言詞界、更には大霊界をも説かれ、その一流界以上の処を地球人種に説諭され、天界のきめ細かな設計図をも示された。
この講師方は真の神を知り、神の声を聞き、神にも抱擁され、神の命をもって働らかれている神の使い、天使なのです。何億兆光年あるやもしれぬ、この広大な大宇宙を、端から端まで移動するのに一秒の何分の一の時間でもって往復され、この地球のような惑星を瞬時に創造もし、破壊もできる力を賦与されておる、まるで神のような方々です。でも講師方は神ではなく、あくまで人間の進化した者だといわれております。
テッシン貴尊は人として生まれて既に何極年という歳月をすごされて居られる。極とは兆の単位に0が更に三六個居並ぶ時間系を表します。しかし神から見れば極という単位もさして長い単位ではないそうです。ですから銀河系宇宙の生誕以前、遙か遙か遠い昔から貴尊方はこの宇宙に存在されて居られます。現代科学が説く宇宙が創造されて五〇億年という数値もやがて幾度も再考され修正されることでしょう。
 今連載しているこの未知日記第一巻の講義はヂショウ、サンキョウ、インショウ、ミキョウ貴尊であられる。慈音師の母親が浮住界にて彷徨されていた時、貴尊が彼女に救いの手を差しのべられたのが抑もの始まりであったのです。母親は慈音が盲目であるため、貴尊に愛児である慈音をどうか救って遣って欲しい旨を懇願し、それを契機に貴尊が地球人類救済のため教主の許可を得、この未知日記の書が書かれたと聞いております。
ミキョウ、セイキョウ、テッシンと云うのは姓名ではなく職名である。
その時の貴尊の階位はインショウ、ミキョウ貴尊であったが暫くして光明論あたりからコーケン、ムイ、リョウジャ、セイキョウ貴尊と呼ばれることになる。この未知日記の書全十一巻の中で一番数多く執筆されているお方でもあって、前回まで転記していた三世と四世論の執筆もこの貴尊によるものである。今は四流界の支配監督の任を終えられ次の新しい界にお進みなさっておられます。慈音先生が講義中迷いをもたれた時、セイキョウ貴尊の日本在世中の過去のお姿を拝したことがあったそうです。そのお姿は日本の古代、儒教も仏教もいまだ伝来していなかった頃の容姿であったと慈音さんの言葉で綴られている。想像するにあのヤマトタケルの御代ではなかったかと思う。
 私、以前慈音師ととても近しい関係にあられる松尾さんと云ふ方に面談し、こんな話を聞いたことがあります。それはあの戦時下、東京空襲の際の話でした。
全都民は当然、防空壕に避難して、家屋には人っ子一人いない時、この老師はそんな時にも貴尊方の講義を端然として聴取しておられたそうです。その刹那、庭先に焼夷弾が炸裂した。その時はさすがの慈音老師も浮き足立ち、狼狽したそうです。
この師に対し間髪をいれず、貴尊は斯くの如き言葉をもって叱咤されたそうです。
その内容を本書から抜粋します。



汝此書を退屈しのぎ時間つぶしと心得てなし居るか。
或は道楽の一種と心得て認め居るや。
戦時下危急存亡の竿頭にありて斯かる考へならば汝は大人物なり。
然れども疎開せんとか、肉体について、孫について様々迷ふ見れば、
未だ覚悟なり居らざるなり。
汝は神を信ずるは虚偽の信仰か。但しは我等の教へを不正と見るや。
我等が説き居る事を汝が智慧より認め居ると汝は、自問自答し居るや。
然りとせば汝の心、汝の智慧は君子にあらずや。
よく考へ見よ。疎開して果して妻子眷属安全の道は遂げらるるか。
汝の疎開は逃ぐる疎開か。戦ふ疎開か。
戦ふ疎開ならば軍隊の足手まとひにならざる所ならば可ならん。
逃ぐるならば何処に行くも安全は望まれじ。
我等は人間の道を説き居るは戦争下なればこそ汝を選びたるなり。
戦時下ならずんば斯かる要なし。
慈音よ深く考へよ。

趣味とか遊び半分座興にて斯かる一大事なる神の道、
人の道を汝に教へ居るにてはあらざるぞ。
汝、汝の心中は我等は知りて同情は与ふなり。
同情を与ふに依りて導き居れるにはあらざるか。
たとひ肉体の難はまぬがれずとも、
魂魄は空しく終はらすべきにあらず。深く考慮せよ。
このあはただしき空気の裡に神の道、人の道を説くには理由ありてなり。
慈音よ。すべてを周囲のなすがままに任せよ。


 僕はこのブログを母の死の一週間前にたちあげた。死を待つ苦しげな母に「おっ母さん、絶対、厳戒の辞を唱えるのを忘れるな。彼方の世界に入っても絶対に忘れるなよ」と何遍も何遍も繰り返し云った。母はうんうんと声にならぬか細い声で頷いた。たとえ母が一時浮住界に置かれることがあったとしても貴尊方の救いの手は母に必ず及ぶと僕は確信している。その時に、そうだ、ブログでこの厳戒の辞を全国へ発信しようと思い、なんとかブログを作り上げることができた。今日まで何一つとして善行らしきものはしてこなかった。このブログを見てくださる人の数人でもいい。その方々に少しでもお役に立てたら本望だ。貴尊方は母の死を以て僕に最後の死に場所を与えられたのだと今は思っている。一日数時間パソコンの前に座り、一心不乱に此の書と対峙してきた。僕にこれほど迄の情熱がまだ残っていたとは自分でも信じられぬくらいだった。体重も10キロ以上痩せた。しかし称える厳戒の辞は従前よりも力強さ増したように思っている。まさに貴尊の云われる、「信仰によって光明に浴せよ」ということだ。母の死に顔は安らかだった。心配していた断末魔の苦しみもなくまるで眠るが如く息絶えた。立ち会った看護師の方も立派な往生であったと僕に云った。母は天寿を全うする者の死は決して怖いものでないことを残された家族一人一人に身を以て教えて呉れた。そして母のとりなす縁でもってこの未知日記の書と出会えたことをいまは深く感謝している。
「 一粒の麦地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし  」
母の死はまさに僕にとって一粒の麦であった。


母20才頃の写真



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