覚者慈音619 未知日記 第一巻  自在論 第二章   伊東慈音

覚者慈音619  



未知日記 第一巻  自在論    伊東慈音
第三章       気源体性

第一節
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 
 気源体性、略して気体性は組織となる性を云ふ。所謂融和と組織の合流を云ふ。此気体性は一種の光の原素を有す。其光は熱を伴はざるなり。然も是なる無熱光は、光体性の光と異なり、破壊力を有せず、組織と融和を計る特殊な光線なり。この光の波は不思議なる働きをなす。地球に於ける蛍の光もこの気光素にして(気光素と仮称す)気光素なり。気光素は生気の因、物、悉くに備はれる光にして、人間もこの気光素を有す。唯外部にあると、内部にあるとの相違なり。高山に登る時人の頭より光を発することあり。是は地中より発したる気体の中に含まれたるものにして、即ち陰の放射なり。水にも此光あり。俗に云ふオ-ロラも是なり。此光に依る物の作用にて起る現象に蜃気楼あり。皆、是気光素の作用なり。
 蜃気楼には二種ありて、湿度空気に反射するものと、気光素の作用に依りて起るものとの二種なり。現在の電気なるものは、其気光素の研究乏しきに依りて完全なる機械を造り得ざるなり。此気光素を研究せば未知線も既知線となるならん。此気光素の原理及び用法は、行法にて詳細に説かるべし。
 聖人君子に夢なしと云へるは誤なり。如何に優れたりとも肉体を持てるもの何ぞ夢なからん。夢は五臓の疲労とか云へるにあらずや。此夢幻は人間の有する気光素より起る現象にして、深く眠れば気光素は網膜に映らざるが故に、夢幻は見ざるのみ。聖人君子は是を知るが故に、夢を語らぬは宜しかるべし。人の瀕死に臨みて、暗夜に眼球光るは、其体内より発する光の現はれなり。
 猛獣などは此光によりて暗夜に見ゆるなり。獣類はすべて此光を巧に応用すれども、人は燈火に馴れて是を利用せざるが故に疎くなりたるなり。人に限らず、動物死すればその光はぬけて飛散す。気光素あるが故に、利する事多し。霊光を送り、自在に意志を通ずるも此光あるが為なり。組織することに依りて破壊に傾く傾向は免がれず。夢は其気と破壊の区別あり。夢を語るは愚なりとのみ考ふるは、夢の原理を弁へざるによる光体性と気体性との両性より受くる夢は迷ひにあらざるなり。



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