未知日記 第一巻  自在論 第二章   伊東慈音

覚者慈音617  


未知日記 第一巻  自在論 第二章   伊東慈音


第五節
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 怒りと悲しみは破壊にして、喜びと楽みとは組織なり。人間の喜怒哀楽は瞬時にして変ず。恰も春夏秋冬の如し。怒りと悲しみは身を亡ぼし、喜びと楽みは身を疲労さす。是真の楽みにあらざればなり。春に種子を蒔き、秋に実を結ばせ、冬に蓄積を娯しむ。されど其冬は長からず。汝等とく此理をわきまへよ。
 肉体を享けて其肉体の本義を知らざれば、短き冬とならん。春夏秋冬みな娯しからざるべからず。人間の諦めは物の理を悟らずして得たる諦めなれば、明らめ得たるにはあらず。捨てたるなり。明らめとは真を悟り得たるを云ふ。理解即ち分解融和して組織されたるを明らめとし云ふなり。詮方なしと云ふは捨てたるにて、真の破壊や。破壊して諦むるは未練を残す。財産を失ひて後に泣くは明らめにあらず。宝は人の心を傷くと教へられたり。財物を得るによりて得たる利益は幾何ぞ。数字は数字にて算へらるれど、心の財は数字にて算へ難し。物財は永遠ならず。心の財は永久なり。故に物財の楽しみは得られざるなり。宝は通貨に依りて其価値定めらる。通貨は誰の用ゆる物ぞ。人の労力も亦通貨に依りて決めらる。然れども人の生命は通貨に依りて決められるものにあらず。
 米に換えるに通貨を以てすとも、米なくして通貨を以て飢餓を凌ぐことを得んや。地球の通貨は他の世界にては玩具にもあたらず。誰か玩具にて身体を失ふものあらんや。悟りは此処にもあり。彼処(かしこ)にもあるならん。人の力は通貨によりて求めらるれど、神の力は金によりて求め得るものにあらず。宝も通貨も神には何等通用せず。神ならぬ人間には一日も欠くべからざるは食と通貨なり。斯く考ふる時、汝等は人間の如何に低きかを知らん。


未知日記 第一巻  自在論 第二章   伊東慈音


第六節
              インショウ、ミキョウ貴尊講述




 死期迫りて天国を求め、敵攻め来たりて武具を造る。
何の効果あらんや。失われたるは過去なり。来るは未来なり。
悟りは今なり。現在なり。親の在す間に心身を整ふべし。
論の余地なき机上の空論となす勿れ。
実を結ばしめんがために花は散るなり。
徳を得せしめんが為に神の力は背後に来る。
躊躇すれば又もとに復す。生まるる喜びは悲しみを招き、
明玉を得たる楽しみは失ふ怒りを招く。福徳の喜びは損失の憂ひあり。
居に安んずるには居を失ふの苦しみは地球の習慣なり。
真の安楽を得んと願ふは人心なり。其の不変の安楽は何処ぞ。即ち汝の父母
汝の父母はよく是を知れり。
自ら問ひ、自ら答へん。自問自答は法なり。座禅工夫を要せず。
汝の両親は汝の肉体の家に宿れり。汝は汝に答へて一切を計れ。
始めは心に咎れども、後には親の声を聞かん。
愚に似たれども、賢なる方法なり。人はむづかしきを喜ぶ以て賢なりと考ふ
是、愚なり。徒にむづかしきを知りて驕慢の心を生じ、我こそ知者なり、学者なりと慢じて何の得る処あらんや。
人来たらずとも深山の花は清く咲く。塵にまみれて麓に咲きたりとも美はしからんや。
自問自答の法は俗法なり。座禅工夫は尊法なりと思はば、その是非を論ぜず、
実行によりて何れが是か非か、その優劣を試しみよ。
如何に平凡なる事なりとも行を修せば、後には親の声を聞かん。恰も太陽の雲に覆はるるに等しきが故にて、太陽輝けば魂も亦輝く。

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