覚者慈音615  未知日記 第一巻  自在論 第二章   インショウ.ミキョウ(現セイキョウ貴尊)貴尊講義



未知日記 第一巻  自在論 第二章   インショウ.ミキョウ貴尊講義


第二節
              インショウ、ミキョウ貴尊講述


 
 宗教者又は修験者が行ふ加持祈祷呪禁魔法等もみな、空源力の一部にすぎず。肉体の持つ恵が聊か働きを起したるにすぎざるなり。近頃称えらるる催眠術とか或は感応術とか称えらるる魔法は、光体性応用の術にして、相手の気を挫き破壊し、我心の儘に化せしむるにすぎざるなり。然らば是に気体性を加へなば、其結果著しき効果をもたらす。破壊と組織は地球の昼夜の如く相伴ひて廻るが故に、此理を用いて術者は被術者の心の交換をなすことを得。然れども被術者の親を抜くことは得じ。そは神の授け給ひしに依ってなり。されど神の許可あらば悉く交換することを得るなり。
 祈祷呪禁には迷信を伴ふものおおいけれども、又信ずべきものも多し。偶像を拝すにも、お守り護符等にも信ずるに足るものもあるなり。偶像の利益と云ふは、偶像其ものの効果うすくとも、大衆の信仰相集り、自然に空源力の現はれ強くなるに依るなり。
 ここに仏教の説く他力には考ふべきことあり。親を殺すとも弥陀は是を救ふと云ふこと是なり。如何なる罪も弥陀の名を称えよとあるは、空源力は神の力なれば其妙智力は罪を許しあたふるなり。人界にて説く優勝劣敗論より出でてたる善悪の教へは相対なるが故に、神の律法(おきて)と異なること多くして、絶対にあらざれば、他力は此理を応用したるにすぎざるなり。







第三節




 毒薬多ければ身を亡ぼし、罪多ければ罰重し。大悪と大善等しければ罪失せて粒苦となる。故に大悪ならば大善たるべし。小悪ならば小善たるべし。物の大小あるは相対なるが故なり。破壊は組織に依って生ず。日常の生活に徴すも明白なり。
 薪は火を組織して破壊され、火は飯を組織して破壊され、飯は口に破壊されて血肉を組織するなるを知らば、自ら一切の道理明白ならん。十字路に於て東西に行く人、南北に行く人との交通しげければ争いを生ず。然れども中心に円を作りて其周囲を歩まさば安全なり。是組織と破壊は同時に行はれたるなり。左足進めば右足はおくれ、右足進めば左足おくる。進退は交々なり。相対性の原理は是等に依りて推進を進めなば、自ら会得し得るならん。唯破壊線、分解線の二線の応用、理に適はざれば相対性本質の妙を究むるあたはず。汝等が身体に宿る父母を思ひ見よ。父の誡めは光にして、母の教へは気なり。子が父母に従ふは光気の融和なりと教ふべし。父の誡めを守るにはよくその理を咀嚼せずんばあるべからず。是即ち分解なり。母の教へは気なるが故に、懐中に抱かれんとす。是即ち融和にして光気和順の義に合ふ。幼にしては肉体の父母の愛撫を受け、肉体の父母に別れて霊体の父母に抱かる。神の恵みは斯くも深淵なり。子として孝養を怠らば天理にそむかん。

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