覚者慈音614  未知日記 第一巻  自在論 第一章   伊東慈音

未知日記 第一巻  自在論 第一章   伊東慈音
 第六節
              インショウ、ミキョウ貴尊講述



 空源力を受理し得る方法、否空源力に順応する方法は、先づ破壊、分解、融和、組織の四線の道理を知り得て、是を修め、次ぎに光源体性及び気源体性の二性の力を修め、更に是が融和の法を修むれば、空源の妙智力働きて自在の姿に変ずるなり。天を望まば天を知り、地を潜らば地も亦明らかなり。然して其他の一切を観察し得ること掌中の物を取るに等し。然して始めて真の神に触れて其存在を知ることを得れども、姿を拝すること難し。一般に神と称ふるは空源力をして神と思ひ居るならん。さればこそ人間をも活神様活仏様など尊号を附するは、神を穢すも甚だしきなり。
 四線に依りて見て整へたる後、空源力を受けて霊魂一如の境涯に進むなり。此法を修めるには、先づ四線の法則に従いて迷信を破るべし。
 例へば奇形児を産みたる父母は、先に罪を犯せしに依る報いなりとか、又神の罰なりとか、称ふる如きは迷信なり。我と行を同じくする者の中に、顔面猿にして手足六本ある者あり。是を産みたる父母も安らかに修行し居れり。斯る事は宗教家の利己を計る一種の方便にすぎず。
 是を空源力より見れば何等とるに足らざるなり。人間の姿こそ奇形ならずや。手足六本あらば、却って他より秀でたる働きをなすに都合よからずや。唯是人体が多くの人の如くならずと云ふにすぎず。空源力の恵みにあづからざる者こそ、神罰を受けたる奇形にはあらざるか。






未知日記 第一巻  自在論 第二章   伊東慈音


第二章    光源体性     
第一節


 
 光源体性略して光体性は、破壊線分解線の二種より組織せられたるものにして、その働きの優れたるは言筆の現はし得ざる力あるなり。もし空源力の原理をわきまへたる世界の者が、地球を攻め来らば一塊の爆薬にて地球を粉砕し人類はおろか、総ては破滅して二十数億年の昔の姿に返るべし。是即ち光体性の威力の現はれなり。ましてや人間に用ゆる力に於てをや。知るべし。此学理の応用は殊更すぐれたる事をね凡そ地球の人類は僅少の智慧を誇りて、地球を征服せりとか、宇宙を征服せりとかの言葉を用ゆるは、智慧の勝れざることを誇るにあらずや。破壊は組織せんがために行ふ。もし破壊せんがための破壊は神の許さざる所なり。即ち殺生となるを以て是を戒む。故に光体性は殺生とならざることに意を用いて行修することを要す。
 汝等が父なる光体性は、汝等を愛するが故に慈悲の鞭を加ふ。貞操を破壊するにも結婚と邪淫を混同する勿れ。結婚は組織にして邪淫は破壊なり。窃(ぬす)む勿れ。窃まれし者の心身を破壊し、盗みたる者の心の親を破壊すればなり。此理を究めずして偶然何か変りたる事あらば、唯不思議と考ふるは愚なり。学者間に用いられる電気と称ふるものの本体は空源力なり。然れども地球に於ては空源力の一部を使用し居るのみなれば、地球外の世界迄は到達するものにあらす。空源力を電気とすれば、光体性は陽電にあたり、気体性は陰電にあたるなり。学者よく工夫、研究あらんことを。

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