覚者慈音610  三世と四世論最終の巻 信仰によって光明に浴せよ

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                                      其の160
    第五     来世の希望は如何
     五     信仰によって光明に浴せよ                                              其1                        リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等の世界には明暗の区ありて常に明より暗、暗より明とこもごも至る。されば明暗なきところはあらざるかとの考へをめぐらし見よ。無言詞界即ち天界ならざればかかる処はあらざるべし。明暗ある世界の明は真の明にあらず。又明暗ある暗、即ち暗にもあらざる道理あらん。是を一言詞するならば暗中に明あり、明中に暗あり。明暗即ち前後の歩みに他ならざるべし。故に此世界にありて明を求むるもその裏面に暗を伴う。暗に於ても又然り。故に明と思うも明ならず、暗と思うも亦暗ならざる理論は成立するならん。故に明暗なき世界に到達せざれば真の暗は得難し。汝等日々の行為に於ても同様にして正と思うも真の正にあらず、不正と思うも亦真の不正にあらざる関係より正不正の道理は明らかならざるべし。明らかにきわむるを得ざるは即ち真の明を得ざる故なり。真の明ならばすべては暗からず、依って是を見きわむることを得るなり。されば信仰によって正しき光明に浴せずば真の世界に入ることは難からん。聊か難しき言葉の云い回しなるに依って認識する事の難からんとは思へど斯る説を聞きて是を認識する才能智能そなわらずば到底正しき光明界に入ることは難し。心の表面にて此説を読み此説を聞くとも何等の価値なし。心の奥底よりこの説を見聞せば可ならん。
 信仰とは即ち迷いを伴はざる信仰にあらざれば是も正しきすぐれたる信仰とは云はれざるなり。汝等我等の説を聞きて是を予言の如く聞き流さば到底信ずる力を養うことは難かるべし。我等は予言者にあらず。汝等の世界の如き学理に依って証明し学理に依って是をきはめ、然してその説を発表なして世人に知らしめて是を信ぜよと伝うるにさへ尚此説をひるがへす学者は出でて、又更に新しく理論を発表なすにすら尚正しからざるにてはあらざるか。確定なしたる学説に於てすら尚不確定の事柄多かるべし。さればかかる種々雑多の方面に説れある説をそのままに信ずると仮定して考へ見よ。其にすら尚信はおかれざるべし。確定したる理論は汝等の世界にては完全なる説明はなすことを得ざるなり。されば我等の語る論旨に対しても汝等はかかる思いにて見聞なさば終生正しき信仰は得られざるなり。
 我等は無言詞界の地に達してのち是を汝等に伝うるなり。されば汝等は是を諒として欺かるるとも苦しからずとの思いを貯へて、然して我等が説に従うべし。我等今日迄説き来りたる論旨に於てかくせば如何とか、かくすれば可ならんとかの不確定語を用い居りたるにかかわらず、今はかくすべしと明らかに確定語を使用したることに対してはその確定語に対して責を負うは当然なりとの思いより、もしあやまちあらば責は我に帰す。汝等疑うこと勿れ。


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