覚者慈音598

           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の149
    第四     無言詞界の広さと深さについて
     四     終始なき自然の存在                               其1                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 我、始めに汝等に説きたる自在論に於て空源体性と教へおきたるは所謂終始なき全宇宙の自然存在を指したるなり。自然とは何ぞと仔細に智力をはたらかせ見よ。智慧とは何処より来り何処に行くや。智慧の根源は何処にありや。智慧の未来は何処にありや。もし智慧が何処より来り、何処に去るかを知ることを得るならばその智慧には限度なかるべからず。限度を有するとせば智慧は即ち絶対のものにてはあらざるべし。言葉なき智慧は言葉を有する智慧を生み、言葉を有する智慧は諸々のものを現出せしむるはたらきと化す。されどその智慧は其にて終りたりとは云い難からん。智慧はもとより始めなく終りなきが故に宇宙に同化するを得るなり。凡ての動物にもあれ或は草木に至る迄みな其々に智慧を持つと見て先づ考へをめぐらし見よ。汝等は言葉を以て相交わり相通ずるが故に其は智慧を有す。されど草木は智慧なく唯のび育つと考うるならん。我等に云はしむれば草木にも草木に相当する智慧をそなえありとして凡てを考察なし居るなり。一個の種子を地上に下しその種子が二葉を出さずして枯死すれば其は無智のものとして取り扱い居るなり。
 大凡宇宙に生をうけたるものならばみな其々に相当する智慧を有す。されどその智慧には限度ありて大小の相違あるのみ。魂を有せざるものの智慧はかろく魂を有するものの智慧は重し。草木には魂を有せざるが故に智慧はうすし。されど智慧あるが故に或は暢びんとする方向にのび育つなりと見るも可ならん。草木は自然の法則に従いて是を守り居るに依って或は育ち或は枯るる等の区別あれどその生存枯死は悉く自然にかない居る結果を汝等に示し居ると見なして自然の存在に対して汝等修養の参考資料として是を見ば又新しき観察力が養われ行くならん。智慧は自然存在のはたらきより増減変化なすと知るならばその智慧のはたらきを自然存在に帰せしむる方法を考究することによって又更に新しき智慧を得ることもあらん。
 我等が語らんとするところは他にあらず。智慧を空に帰せしむることに思いを廻らす時、智慧は自然存在にして終始なきと見なすことも得るならん。自然存在は智慧なり。所謂自然存在に立ち返へらば絶対となる故に智慧を絶対に帰するならば其にて正しきさとりは得らるるなり。その絶対なる智慧をはたらかすものは何か。即ちそは霊なるべし。然りとせば霊は所謂無言詞なるべし。霊を無言詞とすれば霊は即ち神ならんとの考へも浮ぶならん。汝等全宇宙の大義を知らんとならば先づ己自らの見地よりかく推測して思惟せば全宇宙の支配者は神、己を支配するは霊なると同様なるべしと云う事より推して神の存在をも知り又神を知るには己の有する霊より神に通ぜしむる事を得ると考へて修養せば、目的は達する事を得る道理も知ることを得ん。


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