覚者慈音597

                         三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の148
    第四     無言詞界の広さと深さについて
     三     絶対自然と無言詞自然                               其2                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


  是に依って見るも明らかなる如く天の自然は実在化せる有形のものに重点をおかずして、無形の存在を求めあることも頷き知るならん。有形の存在は久しからず。無形の存在は永久なりとの理も亦推して知ることを得ん。絶対の階とは即ち有形を指すにあらずして無形の存在を云うなり。宇宙(太陽系を云う)是太陽と云う実在化せるものより構成なしたりとせば、その中心なる太陽が何時かは消滅することあらん。されどこの太陽系を作り出したる全宇宙は始めなく終りなくして存在す。終始なき存在を是即ち絶対と云うなり。故に絶対と雖も存在す。所謂自然存在を絶対と云うなり。終始なくして動ずる存在なるが故に相対にはあらず、終始なきが故に全宇宙は唯動じ居るなり。目的ありて動ずるにあらねば是絶対なるべし。この境涯を空と云うなり。空は目的なくして動ずるが故にすべてに感応す。すべてに感応するが故にすべてを構成もなし又破壊もなす力あるなり。構成なさんとしてはたらくにもあらず破滅せしめんがためにはたらくにもあらねば是即ち空の法則(おきて)なり。是ぞ即ち自然の法則を生みたる母なり。故に自然にかへるとは空なる母に帰するを云うなり。是を絶対境と云う。故に空とは終始なき自然存在のはたらきを指すなり。
 汝等空とは虚にして何等のはたらきもなきを云うと考うるが故に、空の妙味を味うことを得ざるなり。本来空とは自然存在に同化するを空と云うなり。是を絶対の居に帰ると云うなり。始めなく終りなき全宇宙を構成なし居るものは何かを一層深く考うる必要はあらざるか。始めなく終りなき宇宙ならば既に言葉はつきて何事をも現わし示すことを得ざるべし。されば今一歩進めて終始なき宇宙は何によってかくは定まりしかを推測せんとせば、是即ち無言詞と云うの他なかるべし。無言詞界とは即ち此境涯を云うなり。既に終始なき自然存在と命名することを得たらば、其は無言詞にあらずして有言詞となる。汝等如何に智慧をはたらかせ如何に苦心なすとも此境涯を知ること難からん。神の世界とは是を云うなり。されば汝等如何に修行修養なすとも神の存在を知ることは難からん。終始きはまりなき全宇宙を支配なし居るは神を措いて他にありとは考うることを得ざるべし。されどこの全宇宙は存在して末端の汝等に至る迄作り育てあるにてはあらざるか。ものに順序あることはかくの如きの道理なれば、先づ自然の極致なる空に帰せずば真の道理は認識することを得ざるべし。空に帰せずば自然の何なるかを正しくさとり得ることの難きも推して察するを得るならん。


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