覚者慈音595

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の146
    第四     無言詞界の広さと深さについて
     二     相対自然と絶対自然                               其2                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 元来凧を案出したるは心に生ずる智慧にしてその智慧がはたらきて肉体に及び、肉体によりて糸も凧も作られたりとせば心に浮びし智慧は凧に対する自然なるべし。然りとせば智慧は自然となる。逆上れば斯くの如き道理ありて凧に対する自然とは根底にかへれば即ち智慧に帰するならん。智慧の自然はきわめて広くすべての機械を作り出す源にして是即ち相対自然を人体にて考うれば、自然とは智慧のはたらきに帰せしめてその智慧が不自然ならば不結果となり。自然に合へば正しき好結果となる。是相対自然を人にあてはめて説明なしたれば是に依って広く凡てに通ぜしむれば相対自然の道理は察するを得るならん。故に相対自然とは人にありては智慧なりとの考へを用ゆるも敢てこじつけにはあらざるべし。然りとせば神の智慧は即ち大自然なりとも見らるるならん。此智慧を更に奥深く究むる事によって絶対自然を明らむる事を得るなり。自然は智慧を生みたる母なりとも見る事を得ん。聊か婉曲なる云いまわしにて汝等が解釈に苦しむならんと思へど是を簡単に説明せば却って迷いを起さしむる結果となるを怖れて、斯くも不分明なる言葉を用いたるなり。むづかしき言葉にて説明せば却って汝等には認識することは易からん。されど簡単なるむづかしき言葉は却って判断をあやまたしむるおそれり。そは所謂自然を超越して却って不自然を誘発する結果となるを慮ってなり。汝等深く考へて我等が意志をくみとらば可ならん。簡単なる言葉はむづかしき辞句を要す。故にその辞句によって得るものは即ち早合点となる。不分明なる如く思わるる言葉は二度三度繰り返し読む間に何かは知らず脳裏に映写し来る一種の特効ありて、其が更に拡大現出して正しきさとりと変ずること多し。是即ち自然を応用して自然に合はしめたる結果なりと熟慮判読することによって新しき道を開拓する力ともなり、引いては更に思いもよらぬさとりを得る結果ともなるは是又自然の法則なるが故なり。

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