覚者慈音594 相対自然と絶対自然

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の145
    第四     無言詞界の広さと深さについて
     二     相対自然と絶対自然                               其1                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 先にも語りたる如く相対自然と絶対自然の区別ありて汝等が世界はすべて相対自然の法則に従い居るに依って正不正の関係はまぬかれず。故にその自然と云う言葉に於ても一定の確立したる論説は成立せずして論議は区々となるなり。自然の姿は余りに深淵なるが故に是を凡てに合はしむることは難し。自然はかくも広くかくも深きが故に用法も適所適宜に用いずば却って自然より遠ざかる結果となるなり。されば是を逆上って絶対自然に至らしめて後にあらざれば確定信仰は得ること難からん。
 凧は縛られて空を自由に飛翔するも風のまにまに吹く自然に従いて行動するに依って、墜落せざるなりと考うる時尚そこに何かさとるべき理論の含まれあることに気附くならん。縛りたる縄、縛られたる凧その両者によって自由の範囲は限度ありて其以上の処に至らんとなすもそは許されざるべし。然りとせば其凧は縛られたるが故に己が欲する所に到達することを得ざるは自由を与へざるが故なりとの観念よりその縄をほどかるれば更に目的の所に至る自由は得らるると考うれば、自然より度脱して更に他の自然を要求する考へをめぐらすならん。汝等の世界の自然は恰も斯くの如き有様なる自然にしてその自然を今一歩進めて絶対自然に従わずば真の自由は得られざるべしとの考へは起らざるか。
 大凡汝等の自然とはかくの如く限度を有する自然にして所謂縛ばられたる凧の如き自然なるが故に斯くも不自由なる世界なれば、此不自然なる縄を切りはなちて真の自然に従う道理を考へざるべからずとは云へ、その縄に相当する相対自然を逆上って考究せざれば絶対自然は得られざるべし。凧より縄、縄よりその縄の根源に逆上ってこれを検討し見よ。その縄の根源は何処にて如何なる所にあるかをよくよく調べて考察せば、絶対自然の存在は那辺に存するかを知るならん。もしその縄が根底より切り放さるれば縄の重さにひかれて堕落も却って速とならん。相対自然の原理は斯くの如く一方に偏せば従ってあやまちも多し。


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