覚者慈音593

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の144
    第四     無言詞界の広さと深さについて
     一     自然と不自然                                    其2                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 大凡汝等の世界の如く相対自然におかれあるが故にすべて一方に偏し易ければ、その自然は正ともなり或は不正ともなるなり。故に自由と云う事柄に対しても正不正の両道何れかに偏するも是即ち相対自由の世界なるが故に正しき自由を把握することを得ず。故に迷いは深刻となりて何れを択ぶべきかに迷うも是かくの如き有様なるによってなり。
 例へば空高く放たれし凧は風のまにまに右往左往に自由に飛翔する如く思わるれど、其は糸と云うものに縛ばられてその飛遊は真の自由を得たりとは云い難し。今この糸を切りはなせば真の自由は得らるるかと云うに其は然らず、はては自由を失いて地上に転落する他なかるべし。縛ばられたる糸によって転落することなく浮遊することを得るもその糸のあるがために却って自由は得たりと云うことも考へらるるならん。縛ばられたるために却って自由を恣にすることを得れどその束縛をとかれて却って自由を失わるると云うは、これ自然の妙味が那辺にあるかを考究し見るべし。汝等は或一定の法則によってはたらかされ動かされ居るも即ち凧の糸の如く何か一定のつながりあることありて、そのつながりが自然の法則なることに着眼せざるべからず。
 現今称へられ居る自然とか或は自由とか云へる思想は全く凧の糸を切りはなしたる自然より生ずる自由主義なるが故に、如何にこれを実行に移すともそは成功せざるべし。是自然の法則に合はざるが故にその自由は自由にあらずして勝手気ままの自由なるが故に果は転落するに至らん。勝手気儘の自由と正しき自由との相違は自然の法則に従うと従わざるとの相違に基きて異なる結果を招来するに至るなり。即ち凧の糸は自然の縄にして凧は自然の縄につながるるは即ち法則に従うが故に自由の行動は得らるるなり。然るを世人は是を厭いて法則の縄よりのがるるが故に亡び、亡ぼさるる結果となる。又是を汝等の心には如何に感ずるかと云うに糸に縛ばらるるは是自由を束縛せられたるが故に思うがままの行動はなしがたしと感ずるならん。現行汝等がとなへ居る民主主義自由主義とは自然の法則より解放されて勝手気儘の行動をなし居る姿なるが故に、あるものは右に或ものは左して対立し、はては相争いて共に転落する悲しみをひき起しあるなり。是自然を知らざるが故に斯るあやまちをひきおこすも亦止むを得ざるならん。故に正しき自然をさとり得てその自然に順ずればかかるあやまちはあらざるなり。 

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