覚者慈音589

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の140
    第三     無言詞界について
     四     肉体をはなれて霊界へ                                其2                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等此理を察するを得るや。即ち師の教へたる魂なき剣とは所謂霊に背をむけ居ることを説きたるなり。魂魄は熟睡なすとも霊は決して眠るものにあらず。故に魂魄心意共に霊に帰し居らば如何なる場合にも霊ははたらき居るに依って決して油断などあるべき道理なき事を教へたるなり。魂魄を霊に帰せしめ居らば斯くも安全にして何処如何なる所にありとも決して危害を蒙る憂はあらざるなり。霊の力とは自在論に述べたる空源力(宗教にては神通力と云う)にてそのはたらきは無限なることも既に説きたり。その空源力が光体性なる魂と気体性の魄とを一体化せしめて光気素のはたらきと化し修養所行の力すぐるるに至って始めて気光素のはたらきと化して三味一体となりてはたらくが故に、無限大の行力となりて宇宙と或は全宇宙と自在に同化することを得るなり。汝が世界にては唯光気素のはたらきなるが故にすべてを破壊す。されどこれが進んで気光素のはたらきと変ずるならば破壊より組織に変ずることも推して知る事を得るならん。
 今慈音が修行しあるは光気素の力を捨てて気光素の力を求めつつあるに依って、もし此修行が幸に成功するならば彼の力は気光素のはたらきとなるによって距離なく如何なる処にも通ずるなり。故にすべてを救うことを得る力此処にそなはる事を得て悩める人の為に救いの手を伸ばす事を得るなり。気光素のはたらきも人身にそなはりあればこれを順逆共に使用することを得るも是みな自然の法則より現はれたるはたらきにて、敢て不審するに足らざるなり。汝等は機械ならでは光気素或は気光素の力を発揮する事あたはずと思うならん。もとより機械の力は広大なりと思うは科学するものの思慮にすぎず。機械には機械のみのはたらきに止まり、是には魂のそなわらざるが故に或場合のみに通ずれど全般には通ぜしむるにはみな其々に対して機械を作らざるべからず。是に反し人体の光気素及び気光素はそのはたてらきはわめて小さく思わるれど事実は魂を有しあるが故に、そのはたらきの範囲はきわめて広く使用せらるる便も亦見のがす事を得ざるなりと知らば可ならん。故に肉体を有する間に此理に基きて考案工夫して来世の事を観察し、然して魂魄霊一体化となりて来世に進まば光気素は光気素として自由にはたらかせ、又気光素は気光素として自由に使用する力ますます増大して正しき神通力を得るに至らん。

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