覚者慈音584

 法隆寺夢殿に安置されている救世観音です。明治時代にフェノロサたちが訪れるまで、誰も見たことがない仏像です。フエノロサが像に纏った布を解く時、法隆寺の僧達は太子の怨霊、その祟りを恐れ逃げまどった話は有名です。聖徳太子の姿を彫像されたものらしく180センチの大きな仏像です。太子の死後、彼の一族は蘇我氏によって亡ぼされ、太子の怨念が宿る像として僧達も恐れ、何百年間も秘仏とされておりました。今は国宝になっています。



              三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の135
    第三     無言詞界について
     二     浮住界に到りて                        其1                 
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 月日は廻りてはてしなく繰り返へさるれど去年の今日とは相似て異なる処あらん。人又然り。十年前の我と十年後の我とには変化の度著しく相違あることに気附くなり。汝等の世界は生老病死の区別あるに依ってその法則は人間界の約束にてはあらじ。是は天より定められたる法則なれば如何に地球が廻転すともこの法則をまぐる事はなし難し。人と人との約束はややもすれば破る事あるも天より定められたる約束は鉄石の如くしてまぐる事を得ず。此理は確定なし居たるが故に、汝等にありても別段不審するものはあらざるなり。天の法則に従いて進むものは必ず到達すべき所に移さるるは異論の余地なし。然るに人は是を知りながら他に道を求むるが故にあやまちたる方向に進み行きて迷道にふみ入るもこれ即ち天理に反するが故なり。
 現在の科学と宗教者との関係は全く変りたる方面に分れて論議をなし居る為ここに科学と宗教は別個の如く考へられたる結果、科学者は宗教を別個にとり扱い宗教者は又科学を別個の学問として取り扱うため何れも成功に欠くる所多し。宗教と科学は一体化せざれば相互成立はなり難し。例へばある薬品とある薬品が結合すればそのはたらきが斯く々々に合うと云う事は科学者の論説なりとして、是を宗教者の立場より見るときその薬品が化合してはたらくを今一歩進めて是を天理より推定してその薬品の力個々別々の場合と、結合したる場合の変化は如何あらんか、又個々の場合その個々のもつ特性は宗教上より如何にあらんかを考へなばそのはたらきが結合して更に変化する道理も宗教上より判定する事は敢て至難にはあらざるべし。一つの薬品が其々に有する機能を他のものに結合してここに又新しきはたらきを現出するも是無言詞の法則より生じたる有言詞のはたらきと化せらるるなり。然りとせば科学は宗教と不可分の関係あることは論議の余地なかるべし。汝等は学問をして其を学問にのみ重点をおき己が心にその学問が如何にはたらき来るかを考へざるが故に、学問と汝の心とは結合せず、個々に対立して其々にはたらくが故にすべては別個となりて何等の変化を生ぜざれどその学問と汝の心と結合して一体化すればその時こそはそこに一種の新しき変化を見る。是即ち心霊科学の法則ならんと我等は思うなり。

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