覚者慈音577

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の128
    第二      天界と地界の関係
     三     神ありと思うが故に迷うなり                                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等は己の智慧の及ばざる時何かたかきものを求めて其によって智慧を得んと計るにより却って迷道妄道に陥るなり。即ち己よりたかきものは神と考へその神をよび求めて其に願いをかけて迷いより度脱せんとあせりもがきて却って浮かぶあたはず、水底に陥りて溺るる結果となること多し。神を求めんとするも自己本位より生ずる心にして謂はば自己のために求むる神に他ならず。故に空より空とあてもなくたづねあぐみて迷いのみ深くなり行くは是即ち神にあらざる神を念ずるに他ならず。斯る事にて正しき神を知る事を得んや。先にも語りたる如く人死して神となるならば我等も神なりと説きたり。されど我等が神にあらずとの事も述べおきたり。我等この後、天界の事を語るに先だち再び此言葉をくり返し述べをく必要あるに依ってここに又くり返へし報じおく。汝等も我等と同じ境涯にひき上げらるるとも決して神の家に迄移さるる事は難し。人間界より更に一歩々々進みて更に階を重ねずば神の家に上る事は得ざるも其は順序にして一時に宿望を達する事は難し。されば知るに由なき神などの要あらんや。神の存在の有無を考へるいとまあらば先づ先に正しき道を悟り得て進むの他はなかるべし。
 大凡汝等が神と思いて信仰なし居るものを我等に云はしむるならば、凡ては神にあらずと断言して憚らざるなり。例へば汝等の考うる神とは微々たる行いをなすもの、其が己の智慧にて測り知ることを得ざるものを神として敬い尊ぶにすぎず。かかるものは神にもあらず。然しながら我等が知る神と汝等が思う神とにはその言葉に対して大なる隔ある事を知る時何か我等が知る神と汝等が思う神と文字言葉の意味に於ては聊かも相違なからん。故に神と云う言葉は不自由なる声にてあまりにせまくして何か他に新しき言葉の数々を作り出して神の力を、否神の姿を現はすにあらざれば唯神とのみにては不自由不徹底なりとすら考うる時言葉の至らざる事に不自由を感ずるならん。
 汝等は米をつくる。米は汝等耕作主とは知らざるべし。又米は汝等に喰はるるをも知らざるべし。其と同様にして神は汝等が造主なりとの理をおぼろげながら知り得たりとするも何故汝等を造りしやを知らざるならん。然るを汝等は最高の位置に置かれあるものとしてたかぶり誇り居るを若し米にして智慧あらば米は汝等を嘲り嗤うならん。

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