覚者慈音576

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の127
    第二      天界と地界の関係
     二     座禅、静座の法について                                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 声なき声を聞くにあらざれば凡ては相対となりて極妙の悟りは得られざるなり。汝等肉眼によって色を見、肉耳によって音を聞くにあらざれば見聞なしたりとは考へざるべし。かかる不自由なる世界に置かれある以上眼耳に囚はれて修養修行をなしつつあらば到底正しき色、正しき音を見聞することは難し。故に此迷いを棄てざれば宿望は達するを得ず。依って此事柄をよくよく認識して声なき声、色なき色を見聞せんとなかには何か一定のものをたづね求めざるべからず。例へば汝等思案にくれて行きづまりたる時何かは知らず心の底より新しき考へのわき出でて其によって難問を解決したる経験はあるならん。そは所謂声なき声を聞きたる現はれと考うれば可なり。汝等は是を己が智慧によって求めたりとのみ思うによって深く追究することをなさざれど是を仔細に検討し見よ。智慧のわき出づるは何処より何によって現はれしか、新しき考への浮び出づるはもとより智慧に相違なきもその智慧とは何処におかれありてその智慧をはたらかせたるものは何に基因するかを仔細に探求せば、是声なき声に他ならずとの考へも自づとわき出づるならん。汝等ものを考へて其が言葉と変じたるは即ち絶対より相対に変化したる結果にして言葉となりては最早相対化なしたるなり。
 不立文字教外別伝の法を尊ぶ禅門の宗徒が自得見性して歓喜に涙を流すも是無言詞に他ならず。所謂肉体に有する魂魄は一時にても霊に帰し、その霊波のつながりが無言詞界の一部に接続せられて其に依って瞬時の喜びを与へたる現はれに他ならず。肉体を持てる人間に於てすらたとへ一瞬にもせよ、此境涯を見る時斯くも歓喜の涙にむせぶにてはあらざるか。此喜びが永遠に消滅せず、然も自由自在の行動をなし得る境涯に達しなば真の安楽は得らるるならん。わづかの肉体にすらかかる境地あり。まして大宇宙の極致に至っては無言詞界或は大源界のありと云う事も推して考うる事を得るならん。無言詞界については追々述ぶることとして今は唯その居あることを語りおくに止むべし。

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