覚者慈音575

                                           三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                    其の126
    第二      天界と地界の関係
     二     座禅、静座の法について                                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 仏教のうちには禅あり。儒教の中には静座ありて是に依って悟り悟らしめんと計り居る方法ある事は汝等も既に知る処ならん。禅門には教外別伝とか不立文字とか又は自得見性とか称へ居るは是人間の霊心一体化に依って何ものかを悟らしめんとなし居るなり。我等よく聞く処なるが禅宗者は己の本心を見性してその喜びを他にもわかたんと計れど言葉にては云い現はすことを得ず。故に是を不立文字と称へ居るなり。わづか己の性を見つくるに於てすらかくの如き言葉の及ばざる不便あり。ましてや宇宙の本体に於ておや。語る事を得ざるが当然なるべし。故に我と汝と無言詞の境涯に至りて相通ずるならばここに始めて彼我一体となりて自由自在に語る事を得て大源界の極妙をきはむる事を得るなり。語らざる言葉を聞く力を必要とするもここに大なる悟りを得ざるべからず。されば汝等は語らざる声を聞く修養を積まざるべからず。慈音が我等と一体化なし居るが故に盲人にてありながら他の見ざるものを見、或は聞えざる声を聞く事を得るも是彼我一体化なし居る結果と知らば汝等もほぼ認識する事を得て修養の力そなはらば此喜びを味う事を得るに至るとの手本とならん。
 修養は賢愚の関係によるにあらず。又学問を重ねずとも誰もが達成することを得る道は開らかれあることも察するを得るならん。
神は強きものをそのままになして弱き者の為に救いをなし居る事も知る事を得ん。汝等植物を栽培する肥料足らざる弱きものに肥料を施して完全に育てんとなすに等しと考へて然り。

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