覚者慈音565


             三世と四世論
           未知日記第八巻
           第四の巻
           来世の巻                                  其の117
     二     肉体滅後ま来世    その1                             
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 汝等が考うる来世とは即ち肉体滅後を考へ居るならん。よつてその考へに従いて説明せん。汝等常になやみ迷うところは肉体と魂と分離せられたらばその後は如何に変化するや。或は肉体と魂とは同時に滅するものか。又は宗教者の云う如く魂のみは永久生存して苦楽も亦永久なるかなど思い煩うならんと思うが故に、是より其らかに詳細説明して認識せしめん。汝等の智慧より考うる時肉体あるが故にこそ魂も宿り居るなり。されど肉体亡びなば魂もはたらくことを得ざるが故に共に消滅すと考うるならん。例へば一個の機械を作り其に動力を用いて始めて完全ならしむれど、もし機械が故障を生じて静止するならば如何に動力を用ゆるとも運転を中止する他なかるべし。其と同様にて肉体には動力の必要あれど肉体なかりせばその必要もなし。故に消滅すれば共に静止して終ると考うるならん。然して其動力は他の機械を作れば其にはたらきを運ぶのみにして謂はば人の魂は動に他ならず。機械の正不正によって唯動力に相違あるのみと思はば人間は肉体一代にして永久にあらずとの考へも是即ち人智の至らざる故なるべし。かかる誤解より迷いは深刻となるなり。大凡その機械に相当する肉体を作りてはたらかすは何の目的ありてかを仔細に検討し見よ。然る時は又新らしき考へを催すならん。汝等一個の機械を発明するは何の目的なるかを推理して其に依って人間の肉体と云う機械は何の為に作られしかを検討し見よ。例へば一台の機関車を作り多くの客車に依って人を運ぶも目的は那辺に在りてかに語るの要もなからん。機関車に依って客車を運転せしむるも要は人を運ぶの道具に他ならず。昔は一人を運ぶに二人の人にて運ぶ駕籠と云う不完全なる機械なりしが、人智の進むに従いて千人万人も一個の機械にて自由に運び得るに至りたり。是即ち智識のはたらきより生じたる現はれなるべし。此理より人間の肉体と云う機械は如何なる目的ありて作られしかを考うるならばそこに何かの理由を発見するならん。肉体を運転せしむるのみにて与へられたる動力ならば汝等が思う如く共に生き共に滅する結果となるは云う迄もなし。此処に人類の作りたる機械と神の作りたる機械との相違あることを考へざるか。汝等田畑に食物を作るは何の目的ありてかを考へ見よ。仮に米を人間と見なさば米は稔りて人に喰はるれば其にて終りとなるか、即ち米は喰はれて其にてはたらきを静止したるかを仔細に観察せば人間の肉体と魂と共に亡びたりとは云い難からん。米は米となりて終りたれど人体に入りて後米としてのはたらきを新になす役目を有することに思いをめぐらすならば人、肉体をすてても後に魂は魂としてのはたらきをなさざるべからずとの論理は成立せざるや。

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