覚者慈音560

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の112
  第十四      永遠に希望をすつるなかれ                                        其の2                              リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 大凡世の中に生をうけて魂を有する以上如何なる動物と雖も智慧のそなはらざるものあらんや。故に是等のものと雖も何か其々の分野に応じて希望を抱き居ることは云う迄もなし。わけて人類は希望より希望へと大望をたくましくするが故にこそ死するを厭うならん。希望つくれば死するも亦厭はざるに至る。老人がたとへ口先にてもあれ死に度しと他に語るは是希望を失したる結果に他ならず。もし其老人に一種の希望を与うれば彼は死などを口にするものにあらず。死し度しと云いつつも何かは知らず希望を有するが故にさて死期迫らば慌てふためきて最後を厭うならんと思うなり。世にながく寿命を得たしとは唯一種の希望に他ならず。此事より察すれば希望とは空より空を追究するが故にその希望ははてしなく空を追い求むるに他ならず。さればすべては空なり。人間が立身出世を得たしと努力するも是みな空なるべし。現在は貧しくとも未来は裕福となりて安楽を得んとは誰もが望むところならん。果して其事がすべての人類に意の如く叶へらるるならば是即ち空にあらず。そは確定の法則となるならん。不確定なるが故に空となるなり。頼み難きものを頼まんとするは人間の性質にして己の力の程度をわきまへず希望は他の人と同様に考へる時是を仔細に検討すればここに何か不審を抱かざるや。彼はあまり努力せずして財を得たり。然るに我は彼にまさる努力をなしながら彼におよばず、是は何に基因するかと考うる時、智慧及ばざればその事柄に対して神のいたづらとか自然の現象とかに帰せしめて余り仔細に検討するものはすくなし。宗教者は是を因縁と説き儒教者は単に運命と語り居れ度、是は決して因縁にも運命にもあらず。所謂智慧の足らざる結果より生ずる道理なるべし。財宝を得たる彼の行いと同様の行いをなしても意の如くならず。其は何故か、所謂我は彼の模倣をなしつつあるにすぎざる故なり。人は明日をすら知らざるに長き未来を思い煩うは是如何なる理より来りたる現象なりやと汝等考へしことありや。俗言に一寸先は暗の世と云い居るにてはあらざるか。唯是を知るは神のみと語れど、果してその神ありと信ずる人は幾何もなし。然らば是を察し得るものは何か。もし神なしとするならば即ち智慧を以てせずば是を知ることは難からん。故に智慧を増大することのみに希望をおかば神を知らずとも可なりと云う理も亦ここに生ずるならん。

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