覚者慈音554

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の106
  第十二      何故神を知らずともよしと云うや                         其の1                                                                      リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 我等は知る、なんじらの意中は必ずや此標題の疑問を抱き居るならんと思いて掲げたり。我等汝等に対し一面には神を信ぜよと云い、又一面には神を信ぜずともよしなど曖昧なる言辞を弄して汝等を迷はせあるに依て如何にすれば可ならんかと汝等は迷うならん。我等は思へらく此宇宙の広大無辺なる中に一毛の世界に住む汝等が智識によって神を求め然してその神に依て救はれんと計るは船を用いずして大海を渡らんとするよりも尚困難なるが故に、神ある事は伝へたれどその神に依て救はれんと願うとも及ばざるなり。即ち汝等の神を求むるは恰も幼児がその母を求むるに等しくして所謂肉体の苦患或は心の淋しさを晴らさんとせんが為に己よりすぐれたるものを神なりとしてたづね迷うに他ならず。汝等は己に悩みあればこれを除去すべきものさへあらば其にて満足する信仰にては云はば悩み晴らしのものさへあらば其を杖柱として唯神の如く仏の如く思いて頼み居るに他ならず。斯る些細なる事ならば敢て神など云へる広大無辺の力あるものにすがらずとも汝等が魂に否霊に帰し居らば其にて事足る。然るに己の霊を考へず是を没却して何か他に依て救はれんとさまよう事はしばしば語り居るところなれば既に諒知なし居るならん。されば先づうちを整へて然して後外に及べよと教へ居るなり。旅するものは先づ己の肉体の程度を計り然して一歩々々前進すれば必ずや目的の地に達す。然れども己の程度を知らずして唯歩みを居らば疲労して中途に倒るる憂あるならん。此理より考へ見ば明らかなる如く修行も己の智慧の状態をよくよくきはめ知りて一段々々と向上せしむれば前途遼遠なる如く考へし場所も安らかに目的地に達することを得るなり。故に初心者の汝等なれば神を知らずとも己の霊を信ずる力を養はば霊は神を知るが故に必ず神の家に迄運び行くことしばしば語り居る如くなり。故に神を信ぜずとも可なり。されど霊を信ぜよと教へ居るなり。汝等肉体に及ぼす悩みを救はれなば神など信ずる必要なしと考へ居るは大なるあやまちなり。されば多くのなやみある人には必ず大なる神の栄光は輝くと行者は教へて肉体を労苦せしめて神を知る迄導かんと難行苦行をなさしめ居るなり。
 大凡行者が行い居る魔術魔法は神業の如く汝等は考へ居るならん。そは微々たるものにて神業にもあらず唯己が修行の妨害となるものの妨げをふせがんために種々様々の法を行い居るにすぎず。例へば己が修行し居る道場へ汚れたる者の入り来らんとなす時、雲を起し或は雨をふらせ或は恐ろしきものを現出せしめて其汚れたるものを追い払うなどの業をなすなど聞かさるれば汝等は神通力なりなど考うるはあやまりなり。是は行者が修行して蜃気楼などの原理を応用して斯る事をなすにすぎず。故にそは唯々錯覚幻影をあたうるにすぎずして事実のものを現出せしむるにはあらざるなり。円海も下界に在りし時はかかる法をしばしば行いて修行の妨げを払い居たるものなり。斯る行いは決して神の業にあらず。神はかくの如き小児だましの事をなして宇宙を支配なし居るにあらざる事は言を要せず。

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